海軍飛行予科練習生の制度

8月 4th, 2018

今年は猛暑の日が続いていて、毎日熱中症に注意!が呼びかけられていますが、皆様はお変わりないでしょうか。

 

15日は終戦の日です。当館は入館が無料となります。戦後73年となりましたが、この機会に、悲惨だった戦争と現在の平和について考えていただきたいと思います。

また、午後5時から「平和祈念コンサート」を館内の情報ラウンジで開催します。

琴奏者の我妻久美さんと友人のグループが懐かしい昭和の歌などを演奏します。

 

18日(土)は、「おじいちゃんに聞こう!阿見の昔のはなし」を開催します。

町の歴史や予科練について、ものしりおじいちゃん(阿見町歴史調査委員)が教えてくれます。

25日(土)「飛行機はなぜ飛ぶの?ブーメランの不思議な飛行」を開催します。

飛行機がなぜ飛ぶのかということを、ブーメランを作りながら楽しく学びましょう。

 

海軍飛行予科練習生の制度は、昭和5年「横須賀海軍航空隊予科練習部」として発足し、第1期から第7期までは「予科練習生」という名称が使われ、昭和11年12月から「飛行予科練習生」と改められました。受験資格は高等小学校卒業者もしくは同等以上の学力を有するもので、修業期間は当初3年でした。(後に2年6ヶ月に短縮された)

昭和12年9月「甲種飛行予科練習生」制度が誕生し、中学4年1学期終了程度の学力のある者を採用して、修業期間は初め1年2か月としました。これは搭乗員の増員が急がれ、採用の学力程度を高くして教育期間を短縮したためで、従来の「飛行予科練習生」は「乙種飛行予科練習生」となりました。

また、昭和15年9月から、一般下士官・兵から採用して修業期間が6ヶ月程度のものを「丙種飛行予科練習生」と称しました。(乙種より古い歴史を持つ偵察練習生、操縦練習生は昭和15年以降丙種の名称が付けられた)

昭和16年12月太平洋戦争開戦によって、大量の搭乗員を短期間で養成する必要が生じて、

乙種として採用する者の中から、主として年長者をさらに短期間で養成する「乙種(特)飛行予科練習生」制度が発足し、丙種制度は廃止されました。

予科練教育は、昭和5年に発足した乙種、昭和12年に新設された甲種、昭和15年に発足し、昭和18年に廃止された丙種、そして昭和18年に発足した乙種(特)、および台湾と朝鮮出身の一般志願生から選抜した丙種(特)飛行予科練習生制度の5つの教育制度がありました。