「Reyte-予科練生が見たレイテ沖海戦」③

11月 30th, 2014

 寒くなってきました。しかし、11月最後の日の今日は暖かく感じられます。ちょうど旧暦10月の今頃は「小春」と呼ばれるそうで、今日の暖かさはまさに「小春日和」と言えるのでしょう。

 本日で企画展「Reyte-予科練生が見たレイテ沖海戦」は最終日を迎えましたが、展覧会でも取り上げた元予科練生の証言テキストは、皆様にまだご紹介を終えていません。貴重なお話しですので、展覧会の会期とは別に、引き続きご紹介させていただきます。

【橋原正雄氏:丙飛12期】

 昭和17年(1942)になって、巡洋艦の愛宕に乗り組みました。愛宕は1万トン巡洋艦、重巡洋艦(重巡)で第2艦隊の旗艦です。第2艦隊の司令長官は栗田健男(たけお)中将でした。愛宕艦長が中岡少将です。中岡少将は鳥取県の出身なんですよ。今もね、この方の娘さんと年賀状をやりとりをしています。艦長はもう亡くなったんですけどね。

重巡洋艦「愛宕」

 まあ、愛宕へ乗ったときのいろいろな細かな話もあります。初めて大きな軍艦に乗せられましてね、艦内旅行というのをやるんですよ。船の中を何がどこにあるか覚える、覚えさせられるためにね、艦内旅行。船の先端、これ「錨鎖庫(びょうさこ)」と言って、錨をしまってあるところですが、そこからずーっと甲板を船の後部まで駆け足するんです。毎日駆け足でどこに何があるかを確かめることを、海軍では「旅行」と言ってました。旅行してこい、とね。

 愛宕に初めて乗って、そのよく食事を今でも聞かれるんですけれど、まず、思い出すのはカレーライスですね。港へ行きますとね、海軍カレーなんていうのが売ってるんですよ。今もありますね。横須賀の港へ行きますと海軍カレーなんて看板が出ていてね。つい食べ損ないますけれど。今のカレーが当時と同じかどうかは分かりませんけれど、とにかくおいしかったですよ。あと食べ物っていうと缶詰が多かったですね。艦隊の移動と言いますと、まあ長いときで10日、あるいは2週間、短いときではほんの2、3日なんていう航海はあるんですけれどね。

 インド洋作戦に行ったときなんて、1ヶ月分の食料を積んだわけですよ。そういうときは缶詰ばかり。それとね、驚いたことに、野菜はですね乾燥野菜。菜っ葉類でもゴボウでも人参でもなんでもみんな乾燥してある。だから主計兵(食事を作る係)は大変だったようですね、これを戻すのに。それで味の付け方も違うみたいですね。また、食べる兵隊もうまいのまずいの、なんだこれ、こんなの食えるか、なんてね、怒鳴っている上官もいますからね。たいへんだったと思いますよ。毎回缶詰だとか、それからパン類はよく出たですね。あれは、コッペパンみたいなやつ。それから堅いパン、まあ戦闘食って言うんだけどね。

 で、感心したことにはね、結構コーヒーが出るんですよ。あの頃、コーヒーなんてどこから手に入れたんでしょうかね。ま、南方手広く占領しましたから、南方からどんどん取り寄せたんでしょうね。南方の基地っていうと、だいたい内地を出ますと、マーシャル諸島のトラック島というところに一度寄ります。ここは艦隊が常に入るところで、そのトラック島というところには4つの大きな島があって、夏島秋島冬島春島と、4つの大きな島があるんですが、たぶんここへ入ったときに積み込んだんじゃないかと思うんですよ。作業員整列、なんて号令がかかりましてね、缶詰担ぎに行くんですよ。野菜なんかもね、たぶんトラック島あたりで補給したんだと思います。

トラック

 それから水です。一番大事な水。まあ、水くらい大事なものはなくて、雨が降りますとねオスタップといって大きなドラム缶みたいなのやつを外に出して雨水を集めて、それで顔を洗ったり洗濯したり、風呂の水に使ったり、そんなことをやるわけですよ。そのオスタップというやつは、とても一人じゃ持てなかったですね。

 雨が降るっていうのは船の上にいると分かるんですね。黒い雲がザーッと押し寄せてくるもんですから。すると艦橋から、艦橋というのは艦長以下偉い人がいるところですが、そこから左何十度方向、例えば「右三十度方向にスコール」っていう号令が来るんですね。だんだんスコールが近付いてくるぞーっ、という号令がくるんですね。すると各分隊大きなオスタップを持ってですね、そのスコールが来るのを待ってるんですよ。戦闘中はそんなこと出来ませんけどね。で、スコールが来るっちゅうとその水を一杯貯めて、お風呂に使ったりもする。巡洋艦以上の大きな軍艦はみなお風呂がありますので、交代でお風呂に入ります。お風呂も偉い人が先に入って、あと順々に入っていくわけですけれど、そんなことも何回もありましたね。

 愛宕に初めて乗りましてね、新兵教育と言いますか、艦内教育と言いますか、朝から晩まで訓練ですよね。特に私はカタパルトから飛び出しまして、観測の訓練をやりました。カタパルトと言いますのは、鉄道線路みたいに2本の線路が延びているんですけれど、軍艦の両翼にカタパルトの台があるんですよ。この線路の上に枠があってですね、ちょうど1m四方くらいの枠があってその上に飛行機が乗っかっているんです。ここから飛び出すときには、エンジンは全回転です。

カタパルト

 飛び出す前はですね、軍艦そのものは風に向かって方向を転換してくれます。飛行機が風に向かって飛びだし風に向かって降りるというのは原則ですから。艦隊から離れて風の方向に向かってくれます。同時に、このカタパルトがグーッと外側に移動してくれまして斜めになりますので、その上から飛行機が飛び出します。

 全回転をしてエンジンの調子がいいと「よろしゅう」ってパイロットは合図をするんです。すると当直将校というのが艦橋のすぐ後ろにおりまして、これが引き金をぐっと引くわけです。すると、カタパルトの上に乗っかっている枠がすごい勢いで動き出してね、と同時に飛行機も動きますから、飛行機は全回転していますから上に飛び上がっていくと。ただ、飛行機がうまく風に乗らないとですね、倒立転回やることがあるんですよ。2回ほどありましたね。これが戦闘中だったらそのまま捨てて行っちゃいますけどね、訓練中でしたので、すぐにカッターを下ろして、あるいは内火艇、小さなボートですね、あれを下ろして救助に行くんですが、2回、3回くらい見ましたかね。

 見ていると分かるんですよ、いや危ねぇぞあれは、なんてね。すると、やっぱり飛び出したはいいけど、ヒューッと海面の方に降りて行っちゃってね、そのまま上がってこないんですよ。これは失敗だっちゅうわけで。いやぁ、失敗して帰ってきたときには飛行長に怒鳴られるわけ。「お前は大切な飛行機を一台壊した」というわけでえらいお説教食うんですけれど。ま、そうやってね、初めてこの、軍艦に乗ったときは訓練を受けました。

 愛宕というのは私にとっては初めての軍艦でしたし、すばらしい軍艦だったと思っています。艦長、第二艦隊の司令官、こういう方に教えられまして、実際に機銃の射撃訓練もやりましたね。この射撃訓練は、吹き流し、あれは10m、30m、50mでしたかね、それに向かって射撃するんですよ。母艦と一緒にいますとね、零戦なんかがそれに向かって射撃訓練をやる。ま、そんなことも愛宕では色々と勉強させられまして、実戦部隊というのは大変だなぁということをつくづく感じました。