石碑のような場所

3月 7th, 2012

みなさんこんにちは。

なでしこジャパン勝利のニュースに元気をもらった学芸員Wです。

最近気温の差が大きいので体調を崩しやすいですね。

みなさんもどうぞお気をつけください。

 

お隣の自衛隊武器学校さんの紅梅が見ごろになりました。

歩いていくと奥ゆかしい梅の香りがふわっと近寄ってきます。

 

 

記念館近くのお宅にある白梅のつぼみも開いてきています。

季節がゆっくりと春にむかっているのを感じます。

 

 

今週末の日曜日で、東日本大地震から1年になります。

みなさんにとって、どのような1年だったでしょうか。

 

私Wは、もう1年経ったのか、まだ1年だったのかと、とても不思議な気持ちです。

3.11前の世界には戻れないのが今だに何となく信じられなかったり、

でも、こうした状況に生きることが今の自分にとってのリアルなんだなと思ったりしています。

 

去年の3月11日、みなさんは何をしていらっしゃいましたか?

今年の3月11日、何をしてすごされますか?

 

予科練平和記念館では、地震のあった午後2時46分に黙祷(もくとう)をいたします。

当日ご来館のお客様は、どうぞご一緒にお願いいたします。

 

あらためまして、被害を受けて亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げます。

また、被災されて現在も辛い状況、辛いお気持ちを抱えて毎日を過されている方々に

心からお見舞い申し上げます。

3月11日、どうかみなさんが少しでも心静かにお過ごしになれますよう、お祈りしております。

 

 

 

去年、岩手県立博物館の方のお話をうかがう機会がありました。

岩手県では、この震災を忘れないように後世に伝えるため、

もともと進んでいた三陸ジオパーク(貴重な地形や地質を持つ土地を

保全し、研究したり学んだり観光したりする場所のことをいいます。

いわば自然の博物館です。)構想の中に、震災を知る施設を

盛り込もうという動きがあるそうで、被災したいろいろなものを収集しているそうです。

地震被害の大きさ、津波の恐ろしさを実感してもらうためには、

実物の資料が一番なので、本当は民宿の上に乗った船とかを

そのままの形で残したかったけれど・・・とおっしゃっていました。

 

この話をうかがって、岩手県宮古市姉吉地区にある石碑を思い出しました。

「此処(ここ)より下に家を建てるな」と掘られた石碑は、1933(昭和8)年3月3日にあった

昭和三陸大地震による大津波のときに建てられたものだそうです。

地域の方たちは教えを守ってこの石碑より高いところに住んだので、

今回の地震で大津波が来た時にも全員助かったそうです。

 

博物館、特に何かの出来事を記録し記念する博物館という場所には、

この石碑のような役割があると思います。

 

今回の例で言えば、津波で流されてぺしゃんこになった車や、

人間の背よりはるかに高いところまで水が来た跡が残っている壁、

泥だらけでぐちゃぐちゃになったランドセルや家族写真のアルバムなど、

被害の状況を伝えるいろんな資料を収集してみてもらうことで、

津波を実際に体験しなかった人も、その恐ろしさを感じることができます。

それは同時に、もし自分がそうなった場合にはどうしたらよいか、と、

自分の身に置き換えていろいろなことを考えるきっかけにもなります。

津波がきたときに、人びとはどう行動したか、どのようなことが危険だったのか、

どうすればより安全だったのか、という展示があるとしたら、

それによって防災意識を高めることもできますし、子どもたちにむけて

防災教育をすることもできます。

事実を知ってもらうことで、万が一同じようなことがあった場合に、

より多くの人が助かる可能性を高めることができます。

 

それは、博物館がある地域の人たちだけを対象にしたものではありませんし、

今現在だけを対象にするものでもありません。

 

展示を見たことが、もしかしたらその人のなかで10年後20年後に

何らかの形で生かされて

命が助かることがあるかもしれないからです。

また、見た人が誰かに話したことで、もしかしたらその人も同じように

助かるかもしれませんし、まわりの人も助かるかもしれません。

誰かを助けることができるかもしれません。

 

こうしたことは、数字のような形では表れてこない部分です。

財政難のなかにあっては、緊急性という点でほかのものが優先になりますし、

いろいろな面で本当に難しいことだと思います。

 

それでも、できれば、岩手県の三陸ジオパーク構想と、大震災の記録を残して

伝えていく施設は実現してほしい、と個人的に思っています。

 

 

 

博物館という場所は、100年200年先に責任を持つところだと思って、

学芸員という仕事をしています。

ここ予科練平和記念館は、もう二度と、夢も希望もある伸び盛りの少年たちが

戦争で命を落とすことがないように、歴史を伝え、知っていただく場所です。

 

今ここに生きる人、そしてこれからの未来の人たちに歴史を伝えることで、

経験を生かしてより良くなってほしい。

そういう願いがつまっている、石碑のようなところだと思っています。

 

今回改めて、博物館という場所の役割と自分の仕事を考えてみました。

長く語ってしまい、すみません。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。