生き抜くこと

3月 13th, 2012

 3月11日を迎えました。

 あれから1年が経ったわけです。

 

 一年前、私は別の職場にいて大地震を体験しました。大きな地鳴りに気付き、周囲へも注意を促しながら、しかしまさかあれ程の地震が襲ってくるとは予想だにしませんでした。

 揺れが落ち着いたとき、「これは大変なことになった」と思い、大急ぎで職場のテレビをつけると、それまで見たこともない「大津波警報」が太平洋沿岸の広域に渡って発令されており、しかもアナウンサーが深刻に避難を呼びかけているのを聞いて「一体、どうなってしまうのだろう」と固唾を飲む気持ちでいたことはまちがいありません。

 しかし、私の身内に震源に近く住んでいる者はおらず、旅行・出張の予定も聞いていないことを思い返すと、海から遠くにいる自身の安全を思い、携帯電話は繋がらず親兄弟の安否確認はすぐに出来なかったものの、私には安心感が生まれていました。

 昨年の私は、再び当事者でありまた傍観者であったわけです。

 

 私はこれまでいくつかの災害に遭遇してきました。

 学生時、まず阪神大震災を経験しました。あの朝の地鳴りは自身の人生における空前絶後の音として記憶しています。メキメキッ、バリバリッと地が裂けるような音でハッと目が覚め、布団の中でいろいろと避難方法を考えながら身構えていました。物は落ちたものの、生命を脅かされることはありませんでした。このように、私は生死を分けた渦中からは外れていたので、当時関西に住みながら同時に関東の人間として、私を見守る家族を含めて当事者であり傍観者でいたのです。

 東海村で臨界事故があったときは、たまたま事故現場からほど近い常陸太田駅前で仕事をしていたため、自覚できるほどの被爆をしています。頭が変にくらくらし、家に戻ってからも車に何か付いていたのでしょう、ドアを開けると「ブン」と音がしたかと思うとまた頭がくらくらしました。この先影響が出るのかもしれませんが、現在いたって健康です。私はここでも他界へ行くことを猶予された当事者そして傍観者であったわけです。

 また、新潟県中越地震があったときも仕事のため新潟にいました。仕事が早く終わり、家で夕食をとっている最中、立て続けに2度大きな地震がやってきました。とりあえず身の安全を確保して、揺れが収まった後、職場の安全確認に出かけた夜でした。被害が大きかった長岡市へ災害応援にも出向き、現場を見るにつれ、やはり私は当事者でありながら傍観者で済んでいる、という気持ちをもったものです。

 そして、昨年の東日本大地震を経験しました。両親が住む家や墓地は大分痛めつけられ、昨年一杯、修理に奔走することになりましたし、断水・停電など日常あるべきものが一時的にせよなくなる経験をしましたが、生死の別れを覚悟する状況には至りませんでした。

 

 身内に目に見える被害が出たことで、これまでより一歩進んでしまった感はあります。しかし、大津波が何もかもめくり上げて進むすぐその先に、何も知らないトラック群が信号待ちしている空撮映像を見て「早く逃げろ」と叫びを覚えたことに比べれば、私は平和に恵まれていたと思うほかありません。

 

 当事者であり傍観者である心構えは、川端康成が芸術の道に生きる覚悟を述べたことばの一つです。一口に言えば、物事の本質を見極めるための徹底した厳しくも優しい態度、と言えばよいでしょうか。

 皆さんにとっても耳馴染みかと思われる「般若心経」は一切の存在が「空」であるという真理を理解するための智慧を説くお経です。「…色不異空 空不異色 色即是空 空即是色…、羯諦(ぎゃてい) 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦…」有名なこれらの一説も真理を体得する智慧を説く場面です。

 

 それこそ昔には、富士山の大爆発で生き埋めになった人たちがいました。鎌倉も大津波を受けて壊滅しました。また、戦国時代には血みどろの戦いで多くの人たちが死にました。私たちはその時代に生きずに済んだ、つまり猶予されたと考えることが出来るでしょう。

 私は自身の経験から、当事者と傍観者の大きな相違を感じています。しかし、私たちは「運」ということばに恵まれています。当事者になることも傍観者で済むことも全て運ではないでしょうか。運を決めるのは、ちっぽけな私たち人間の業ではありません。

 当事者としての運がやってきたときは歯を食いしばって頑張る、傍観者で済んだときは出来る限りの援助を行う、私はそれでよいと考えています。そして、まだ生きることを許されている私たちは、命を決して無駄にしない、生きることに感謝して明日を作っていくだけだと思うのです。

 

 予科練平和記念館は戦争という人為的な惨禍を二度と迎えないよう皆さんに訴えかけています。見方を変えれば、天変地異によって命の尊さを教えられることは、宇宙そのものである仏の教えに通じることなのかもしれません。それは、人間が智慧を得ること、とも言えるでしょう。

 智慧が生まれれば慈悲も生まれる。仏像を見るときには思い出してください、智慧の文殊には慈悲の普賢が、智慧の勢至には慈悲の観音がパートナーとして存在していることを。

 

 私は一昨年に宮古を旅し、浄土ヶ浜などを観光しました。田老港のすぐ近く、三王岩へ徒歩で行ける民宿に泊まり、美味しい海の幸をご馳走になりました。その宿とも音信不通で、ご主人たちの消息も不明です。せめて高台に避難していたことを祈るばかりです。

 

 昨年来、ご不幸に遭われた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 生きている私たちは、命を大切に、しっかり生き抜いて参ります。