おおらかに生きる①「岡崎様の場合」

12月 9th, 2011

 今年も師走を迎えました。

  私にとって今年のお正月は遠い過去のことですが、こうして12月を迎えてみると、やはりあっという間にこの1年が経過してしまったように感じられます。思い起こすと、3月の大地震ばかりでなく、身近な1つ1つの出来事にも心や体を磨り減らしたものですが、過ぎてみれば「あっという間の出来事だった」と思ってしまう、これはどういうことなのでしょうか。

 私は現在、まったくの楽天主義で生きていますので「昨日までを忘れ、明日を夢見るように神様仏様がそうしてくださっている」のだと考えています。

 

 その意味では、生きる上でたいへん勉強になることが最近ありました。

  予科練平和記念館では常設展示でも昔を知る方々の映像を流していますが、出来るだけ多くの方から昔を語っていただき、それを記録する事業を行っています。

 12月に入って早々、予科練元甲種13期生の岡崎圭一郎様をご訪問し、お話をうかがう機会を得ました。

 

  予科練平和記念館にご来館いただいた方にとって、実は身近な存在であるかもしれません。玄関を入り第1番目の展示室に入ろうとするとき、澄んだ目で日本刀の手入れをしている予科練生の写真があります。昭和19年初夏に写真家土門拳は岡崎様を大きく撮影していたのでした。

 

 

 

  私がこの写真撮影の様子を伺って驚いたのは、岡崎様の「いつ撮影されたのかも分からなかった」とのお言葉。遠くからズームレンズを使って撮影したわけではないはずなので、私には正直言って不思議な思いがしました。

 

 

 岡崎様は戦後復員されてから薬剤師の資格を取得され、現在も東京杉並区で薬局を開業されている現役バリバリの薬剤師でいらっしゃいます。頭脳明晰、足腰も丈夫、と83歳には到底見えない方です。

 私は初対面でしたから、まず岡崎様の穏やかな笑顔が印象的でした。また、お話を伺っていく中でいつも感じられる大らかな口調は、人を決して苛々させない魅力だと思いました。そして、岡崎様が「戦後病気らしい病気はしたことがないね」と述懐されたそのお元気さの秘訣についてお尋ねしたとき「私は特に何もしてないんだけれど」というお返事でした。そこで私が一歩粘ると「まあ、適度に運動して、夜の食事はあまり摂り過ぎないようにして、酒は赤ワインが好きかな。とにかく、くよくよ考えたりしないことだね。そうなったらそうなったで仕方がない、ってね」

 このお言葉を引き出せただけでも、私は務めを果たせたような気がしました。予科練生には優秀な人材が揃っていたわけですが、岡崎様は旧制足利中学のご出身で、復員された後国体のバレーボール選手にも名を連ねたことがおありになるという、例に漏れず優秀な方です。「そうなったらそうなったで仕方がない」という考え方は、一つ踏み誤ると自堕落になるばかりでしょうが、目的を持ち、また強い意志を持ち生きて行く方にとっては、まるで「不老長寿」の霊水のような存在かもしれません。

 

 約2時間半の短いお付き合いでしたが、土門拳に「いつ撮影されたのかも分からなかった」という岡崎様が、私にはたいへん羨ましく思えました。生来の性格は余人には決して真似できないものです。岡崎様のご性質は悟りの境地「達観」を生む、まさに貴重な才能と言えるのではないでしょうか。

 このようなことを言えば「いやぁ、そんな大袈裟なことじゃないよ」と岡崎様は笑っておっしゃることでしょう。しかし、些細なことに一喜一憂し、無駄に命を磨り減らしているような凡人には、岡崎様のような存在こそ慈悲の「仏」なのかもしれません。

 

 私は予科練生に多くの逸材が存在し、そして若くして命を失って行った事実を知るごとに、その方々には生き残って是非とも日本のために働いていただきたかった、と考えるのです。「記念館にはご無沙汰して申し訳ない」と岡崎様はおっしゃっていましたが、現在のご多忙なご生活を出来るだけ長く続けていただきたいと心から思います。そして、人間としての優れた有り様の1つを、多くの後輩に見せていただきたいと思います。

 かつて予科練に集った方々も「岡崎もっとやれ」と大応援しているのではないでしょうか。