阿見町に走っていた鉄道

3月 3rd, 2017

暖かい日があってもまた寒さが戻ることがあり、繰り返えされながら春が近づいています。

 

今月は11日に「おはなしとむかしあそびの会」を開催します。

「絵本の読み聞かせ」や「むかしの遊び」、「おもちゃの病院」もありますので、お子様とご一緒にお楽しみください。

26日には講演会「レイテ島の戦い」を開催します。レイテ島守備隊と特攻隊に焦点をあてて、阿見町歴史調査委員の大橋良一さんが講演します。皆様のご来館をお待ちしております。

 

阿見町にはかつて鉄道が走っていました。

常南電気鉄道という名称で、大正末期から昭和の初め頃に当時の阿見村(新町のバス停留所「阿見坂下」付近)から土浦駅の間を運行していました。

大正10年霞ヶ浦飛行場が設置され、翌年には霞ヶ浦海軍航空隊が開隊しましたので、たくさんの海軍関係者が住むようになりました。その需要を見込んで鉄道を運行したと思われます。

この鉄道は単線で運行され、阿見と土浦間に停留所(駅)が8カ所設けられました。昭和4年にドイツの飛行船ツェッペリン伯号が霞ヶ浦飛行場に寄航した時には、大勢の人が鉄道を利用して見物に訪れたそうです。

しかし常南電気鉄道の運行前からバスも営業していたため、次第に競争に負け短い期間で廃止になりました。大正15年10月に開業し、昭和13年2月に廃業されるまで12年間運行しました。

 

また同じ頃に、軍用の単線が荒川沖駅から霞ヶ浦海軍航空隊(現在の阿見小学校付近)まで敷設されていて、航空燃料を輸送していました。後には若栗にあった第一軍需工廠(現在はフタムラ化学株式会社や三菱化学株式会社などがある)まで延伸されました。さらに、第一海軍航空廠(現在の陸上自衛隊関東補給処)へも引込線が敷設され、資材の運搬と整備が済んだ飛行機の搬出が行われていました。