2012年最後の開館日

12月 28th, 2012

みなさんこんばんは。

学芸員Wです。

今日は今年最後の開館日。

展示解説員Tさんが、予科練1期生の3時間にも及ぶインタビューの

文字起こしを完了したことが今日のハイライトでした。

 

最後のお客様をお見送りして、2012年の業務も無事に終了です。

展示解説員のみなさんも笑顔で帰宅していきました。

ひとり、またひとりと年末のご挨拶を交わしてお別れするのは

なんとなくさみしくなるものです。

ひとりぼっちの事務室でブログを更新しながら、

今年一年も早かったなー・・・と考えています。

 

  

さて、今日の新聞等でご覧になった方がいらっしゃったら嬉しいのですが、

先日、アメリカから旧日本兵のものと思われる日章旗が寄贈されました。

 

 

天田町長(左)と寄贈者の竹田さん(右)です。

 

はるばるアメリカからこの日章旗を持ってきてくださった竹田さんは、

30年以上前にアメリカに渡り、ノースカロライナ州で子どもたちの教育に

長年携わっていらっしゃいます。

 

事の発端は去年の夏。

竹田さんの娘さんが、東日本大震災のチャリティー絵画展を開いたところ、

会場を訪れたアメリカ人の女性から、この日章旗を手渡されたそうです。

「この旗はおじが戦時中から大切に保管してきたものです。日本の旗だから、

日本人のあなたにお返しします。」

とおっしゃり、詳しいことは語らないまま竹田さんの娘さんに渡したそうです。

旗はしばらく娘さんのところにありましたが、今年の夏、竹田さんがニューヨークに

住む娘さんを訪ねたところ、

「パパ、ケリーさん(旗を渡してくださった女性)のためにできる限りのことをしてあげて!!」

と、この旗を頼まれたそうです。

竹田さんはその場で、旗を持って日本に帰国することを決意なさいました。

 

この時のことを、メールで私に教えてくださいました。

 

「私が思うことは、ケリーさんは悲惨きわまる大震災の様子をテレビのニュースで見ながら

心を動かされて、このような善意と哀れみに満ちた決断に至ったのだと思います。

それにしても彼女のこの好意は、日米両国を結ぶ親善の賜物です!

かつては敵同士で戦った国の人々が世代を超えて心を分かち合えることは、

真の国際親善であり、これほど尊いものはありません。

私はその親善の橋渡しの役目を授かったことに、大きな喜びを感じております。」

 

 

70年近くもアメリカで保管されていた旗を日本に返すため、

竹田さんは、日本の友人に相談したり、行政機関や博物館など

さまざまなところに国際電話をかけて調査をなさいました。

その最中に当館をお知りになったそうです。

 

11月の初旬だったと思うのですが、ちょうどファーストコールを受けたのが私Wでした。

竹田さんの熱心なお話をうかがい、旗に墨書された「岡崎航空隊」には

予科練生がたくさん入隊しているという縁もあることから、受け入れを決め、

準備を進めてまいりました。

 

竹田さんはクリスマスにあわせて帰国。

 日米両国をつなぐこの日章旗はまさに「ギフト」だから、といって、

クリスマス期間中の12月26日に寄贈してくださいました。

 

 

寄せ書きされた日章旗というのは、通常、入隊や出征時に

親しい人が寄せ書きをして贈ることが多いので、

旗には贈られる人の名前が書かれているものが一般的です。

でも、竹田さんがお持ちになった日章旗には人名らしきものが書かれておらず、

かわりに 「武運長久」や「岡崎航空隊」などのほか、「ワシントン」「ハワイ」

「グアム」「名古屋」「レイテー(レイテ?)」「オールマーク(オルモック?レイテ島にある

湾の名前です)」などの地名が墨書されている、という大変珍しいものです。

 

 

 

戦時中から旗を保管していたという方と直接連絡することができないため、

どのようにして所持するにいたったかの詳細がまだわかりませんが、

竹田さんの娘さんに旗を渡してくださったケリーさんが、持ち主だったおじさんに

聞き取り調査をして知らせてくださることになっています。

 

この旗がどのようなドラマを持っているのか、これから明らかになる

事実を心待ちにしているところです。

 

また、旗を所持していたアメリカの方は、元の持ち主を探しているそうです。

どんな小さなことでもかまいませんので、何かお心当たりがある方は

予科練平和記念館(029-891-3344)までお知らせください。

よろしくお願い申し上げます。

 

 

2012年も残すところあと3日。

みなさんにとってどのような1年だったでしょうか。

 

前述の竹田さんは、娘さんのチャリティ絵画展で得られた寄付金を持って

宮城県石巻市の大川小学校を訪ねたそうです。

北上川沿いに建っている大川小学校は、東日本大震災時に

川をさかのぼってきた津波によって大きな被害を受け、

全校児童の7割が死亡・行方不明になったところです。

 

被災地の復旧、復興にはまだまだ課題が山積しているなか、

被災地以外のところでは、早くも大震災の記憶が過去のものになりつつあると聞きます。

竹田さんは、被災地のこと、そして原発事故のことをとても心配なさっていました。

 

時計の針が戻ることはありませんが、まもなくやってくる2013年が、

今なお辛い状況におかれている方々にすこしでも優しい日々でありますよう

願ってやみません。

 

 

年末のお忙しいなか、私の拙い文章にお付き合いくださいまして

本当にありがとうございました。

みなさんのおかげで、こうして記念館での日常、というか、私Wのつぶやき的

散文を綴らせていただいていることに、心から感謝しております。

来年はもう少しおもしろい記事が書けるといいな、と思っておりますので、

これからもお目通しいただければ幸いです。

 

 

予科練平和記念館は明日12月29日(土)~1月3日(木)まで

年末年始休館になります。

1月4日(金)からは、通常通り開館いたします。

来年も、みなさんのお越しを心よりお待ち申し上げます。

 

それでは、どうぞよいお年をおむかえください!

 

 

 

元予科練生インタビューから

12月 21st, 2012

  今年の冬は寒いですね。最近では、冬至は日が短くてもなんとなく暖かかったものですが、11月から「おっ、寒いな」と思う日が非常に多い本年です。先日の天気予報で学習したところでは、偏西風の流れが例年より南に下がっている(蛇行している)ため北極圏の寒気が日本にも入りやすくなっているそうです。

 おそらく地球は人類という我がまま勝手な暴君に手を焼いているのだと思います。変にストレスが溜まり、調子悪くなっているのではないでしょうか。

 子孫のためには、現在の状態が薬を飲めば治る「胃炎」程度であることを願いたいものです。われら生き物の母なる地球を「不治の病」に追い込まない知恵が私たちに求められていると思います。

 

 地球を破壊しないことにもつながりますが、戦争のない、つまり殺し合いをしなくてすむ社会の実現を目指して、予科練平和記念館では元予科練生など昔を知る方々にインタビューを行い、その知恵が詰まった経験談を記念館で放映し、ご紹介しています。

 生きた知恵というものはたった一度きりの人生と真剣に向き合った方からしか得られないものだと思います。その意味でも、今後さらに1人でも多くの方からお話しを伺いたいと考えていますが、今回のブログでは、先日インタビューに応じてくださった方をご紹介いたします。

 

 ご紹介するのは大東秀夫さんです。

 大東さんは昭和3(1927)年に横浜でお生まれになり、現在は笠間市にお住まいです。85歳でいらっしゃいますがたいへんお元気で、さすが予科練で鍛えた方は違う、と私が心底脱帽するお一人です。

 昭和18年12月、15歳の時に乙飛24期生として三重海軍航空隊に入隊され、水上機パイロットへの進路が決まっていたそうです。横浜生まれの大東さんの心残りは、憧れていた土浦海軍航空隊への入隊が果たせなかったこと、とのこと。しかし、当時の若者らしく、予科練に入りお国のために役立ちたい一心で、予科練に入隊できた喜びそのままに訓練の日々はとても充実していたと笑顔でお話しになりました。

 大東さんの周辺では戦争の状況についての情報がほとんど得られなかったそうです。ですから隊内では「特攻」についても何も分からないに等しい状況だったようです。

 ただ、昭和19(1944)年10月には、現在真珠の養殖地で知られる三重県鳥羽市賢島へ移動し「震洋」の特攻基地建設に従事されました。その時も造っているものが何のためのものかは当然知らされず、だから何も分からなかったそうです。

 大東さんは運動神経が特に優れていたそうですが、その点からも白羽の矢が立てられたのでしょう、昭和20(1945)年3月には「伏龍」特攻隊員に選抜されました。

 伏龍については情報が少なく、今回のインタビューでは貴重なお話しを伺うことができました。記念館でも準備が調い次第、大東さんの映像を皆様に見ていただく予定です。

 ここでは、インタビューの概要をご紹介します。

 特攻隊選抜を言い渡されたときには、具体的な任務を知らされることなく、横須賀海軍水雷学校への転属を命じられたそうです。同期の中では大東さんだけが選抜されたこともあり「やるぞ」という強い使命感が湧いてきたそうです。毎日土を掘ることではない、戦うことができると気合いが漲ってきたとのことでした。

 横須賀ではじめて「伏龍」特攻であることが知らされ、内容を知って驚かれたそうです。

◇10名単位で組になった。

◇水に入る訓練→夜間に水に入る訓練→簡易潜水服を着用し、頭に浮き袋を付け(隊員の位置を知らせるためのもの)海へ潜る訓練。

◇とにかく重いため、海へ入るまでの砂浜を歩くのが大変だった→浮力が働くため海に入ってからの方が移動は楽だった。

◇海中では自由に歩き回ることなど出来なかった。頭と足の位置で水圧が違うため立っていられず、海底を手で這いながら移動した。

◇目的の地点に着くとクルッと仰向けになり水面を見ながら機雷棒を構えた。

◇深度10メートル程から見上げる太陽は満月のように見えた。

◇機雷棒は海流のために自由に扱えたとは言えなかった。

◇酸素弁を調節し、水深に応じて酸素を出すが、海から上がるときが大変で、潜水服中の酸素を抜きながら上がるため調節に失敗すると潜水服が破裂し溺死する危険があった。(装置の付いた潜水服は自分一人では着脱できないものだった)

◇訓練は潜水服の数が少ないこともあり、1人ずつ行われた。悲壮感をもって訓練をしたというより、少年であったために新しい遊具に挑戦するような気持ちでもあったとのこと。

◇大東さんの班では事故は1つもなかった。他班で事故があっても知らされることはなかった。

◇訓練中、伏龍については大東さんも実効性に疑問をもったとのこと。しかし、上官の命令は「天皇」の命令と教育されていたため、それ以上のことは深く考えなかった。

◇終戦になると特攻隊はすぐ解散となり、大東さんは実家が横浜だったためすぐに帰郷できたとのこと。

 戦後、大東さんは家族で唯一の男手として文字通り身を粉にして働き続けてきたそうです。その大東さんも「絶対に戦争をしてはならない」と強いメッセージをお寄せ下さいました。

 戦争の残酷さ、悲惨さ、無意味なことを是非とも発信し続けてもらいたい、元予科練生の大東さんから予科練平和記念館がいただいたメッセージです。

 戦争を実体験したことがない人間の集まりでもある予科練平和記念館です。しかし、臆することなく、先人の声を自身の声として、来年も引き続き普及活動に努めたいと考えています。

足利市議会議員さんがご来館くださいました

12月 21st, 2012

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

先日に続いて臨時で更新をしています。

 

昨日は栃木県から足利市議会議員の皆さんがご来館くださいました。

当館を1時間ご覧になったあと、遺書や遺影を展示している雄翔館も

見学されました。

 

 

 

昨日はとても寒くて風も強かったのですが、そのようななか、

ご多忙中にもかかわらずご来館くださいまして、本当にありがとうございました。

 

 

 

足利市ホームページ

http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/

 

 

呉市議会議員の皆さんがご来館くださいました

12月 19th, 2012

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

今日は、広島県呉市議会議員の皆さんが予科練平和記念館にご来館くださいました。

呉市は瀬戸内海に面した港町で、当町と同じように旧海軍と縁の深い土地です。

戦艦大和の展示が見られる「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」や、

潜水艦が展示されている「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」などの

展示施設も見ごたえがあります。

 

特に「大和ミュージアム」は、予科練平和記念館を建てるにあたって、

どのように運営していくか、戦時の歴史をどう展示しているか、などを

勉強するためにお邪魔させていただいたところでもあります。

 

いらっしゃった7名の議員の皆さんは、当館の運営の状況や課題、

イベントの状況等について熱心にお聞きになったあと、常設展示をご覧くださいました。

予科練平和記念館の先輩にあたる「大和ミュージアム」があるところの方たちを

ご案内するのは緊張いたしましたが、興味をもってご覧くださっているのが

わかって、とても嬉しく思いました。

 

 

当館のあとは、お隣の雄翔館で予科練生の遺書や遺影をご覧になりました。

 

 

午後からは東京での視察が控えていらっしゃるとのことで、お忙しいご予定のなか

お運びいただいたことに感謝申し上げます。

 

 

呉市ホームページ

http://www.city.kure.lg.jp/kure_top.html

 

 

全力おさんぽ

12月 12th, 2012

みなさんこんにちは。

今日は2012年12月12日です。

12が並んでいます。

だからどうした、ということもありませんが、

あとにも先にも今日は今日だけなんだな、ということが目に見えてわかる気がします。

 

そういえば、今日をいれるとあと20日で新しい年になるんだ!と突然自覚して、

なんだかうろたえた学芸員Wです。

 

目前のクリスマスの雰囲気にのまれてうっかりしているうちに24日が過ぎて、

いきなりやってくる年越しムードにあわてる自分が目に見えるようです。

意外とやらなくてはならないことが多くて忙しいこの時期、

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 

 

前回は「ナイトミュージアム!」の様子をお知らせしましたが、

今日はその1週間前に行った、お子さま対象のよみきかせ

「おはなしおさんぽの会&昔のあそびをやってみよう!の会」の

様子をお伝えしたいと思います。

今回4回目を迎えるおさんぽの会には、0才から10才ぐらいまでの

かわいいお客さまがたくさんきてくださいます。

 

 

 

 

読んだのはこの4冊です。

 

『お月さまってどんなあじ?』 マイケル・グレイニエツ作

昔話『ねずみのすもう』 いもとようこ作

『ちいさなへいたい』 パウル・ヴェルレプト作

大型絵本『おおきなかぶ』 A・トルストイ作

 

どの絵本も、いっしょうけんめい聞いてくれました。

 

絵本を楽しんだあとは、みんなで遊びます。

今回は秋のスタンプラリーです。

記念館のまわりと、お隣の公園にかくされた7つのスタンプを探しにいきます。

 

 

 

こんなふうに置いてあります。

スタンプは、予科練生の七つボタンにちなんで7つにしてみました。

 

どこにあるかな?

 

 

力いっぱいインクをつけています。

実は、スタンプは全部野菜でできています。

ここ⑥はオクラ。

切り口が星のような花のようなで、とてもかわいいです。

 

 

 

②はジャガイモです。

ほかにサツマイモ、にんじんなどがあって、どんぐりやイチョウ、桜などが押せる

特製の秋のスタンプになっています。

 

とっても手が込んでいますね!とお褒めをいただきましたこのスタンプ、

よみきかせをしてくれた展示解説員Mさんの力作です。

 

 

 

 

私Wは公園でみなさんの様子を見ていたのですが、

スタンプ用紙を持った子どもさんが、「全部押せた!」「ここわかんない!」「あっちにあった!」と言って

子犬のように全速力でかけまわっていました。

全部押したスタンプ用紙を見せてくれたり、どこにスタンプがあったかを教えてくれたり、

全力で楽しんでくれていました。

 

スタンプが全部集まったら、記念館に戻って、かわいいイラストがついた色画用紙を

スタンプラリーの用紙に貼り付けます。

あらかじめどちらにも毛糸の取っ手がついているので、

貼り付けるとトートバッグになります。

このバッグに折り紙で作ったきのことどんぐりを入れて終了です。

 

今回のおさんぽの会も、とても好評でした。

次回は年が明けて3月23日(土)を予定しています。

きっと春の予感でうきうきしている頃でしょう。

ちいさなお子がいらっしゃるみなさん、おさんぽがてら記念館にも

どうぞ足を運んでみてくださいね。

 

 

さて、先日、歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが旅立たれました。

勘三郎さんと、勘三郎さんが心血を注いだ平成中村座は、私Wの人生に

大きな影響を与えてくれた大恩人だと勝手に思っておりまして、大きなショックを受けております。

 

笑顔を忘れそうになったときに見た中村座でのお芝居の帰り道、

ライトアップされたスカイツリーがあまりにもきれいだったのを思い出します。

 

平成中村座は、江戸時代の芝居小屋の雰囲気を再現した仮設の劇場で、

浅草の観音様の先、隅田川沿いに立ちます。

勘三郎さんは、この平成中村座をニューヨークまでもって行って、英語でせりふをしゃべったり、

ニューヨーク市警が出てきたりする演出で観客をわかせました。

400年以上も前のものが現代のアメリカでウケるというのは、考えてみるとすごいことです。

 

歌舞伎を若い世代の人たちに見てほしい、と、渋谷・Bunkamuraのシアターコクーンで、

現代の演出家を迎えて斬新な表現方法や解釈で生みなおした歌舞伎「コクーン歌舞伎」も、

毎回チケットがなかなか取れない大人気の舞台でした。

歌舞伎座や新橋演舞場とは違って、若い世代の方たちがたくさん見にきていて、

通常の歌舞伎にはないカーテンコールもあって、刺激的でおもしろくて、すばらしいものでした。

 

勘三郎さんは、歌舞伎は展示ケースに閉じ込めてありがたがって見るものではなく、

今をライブで生きている人たちが作りあげるエキサイティングな舞台なんだということを

身をもって示してくださったように思います。

それは、歌舞伎400年の伝統を全身で受け継ぎ、大切にしているからこそできることで、

型があるから型破りができる、というのは、勘三郎さんがおっしゃっていたことです。

 

公私ともに誰からも愛された勘三郎さん。

ファン一人ひとりを大切にしてくださった勘三郎さん。

来年4月に新しい歌舞伎座のこけら落としをひかえていたし、

お孫さんも生まれて、これからますます充実して

円熟した芸を見せてくださっただろうと思うと、残念でなりません。

公共の場をお借りしてこのように申し上げるのもどうかとは思いましたが、

みなさまどうぞお許し下さい。

 

たくさんの感動とすばらしい舞台を残してくださったことに

感謝申し上げ、ちっぽけな一ファンですが、

ご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

イベント報告

12月 8th, 2012

 12月に入ってしまった、と思うまもなく一週間が過ぎて、先人が言う通りに時が経つ早さばかりを感じる師走です。

 例年より冷え込みが厳しいこの季節ですが、季節をさかのぼって今秋以降に行われたイベントについてご紹介いたします。

 

 今回は10月14日(日)に行われた「予科練平和記念館学習会~戦跡を巡る~」です。

 昨年から始まったこの学習会も3回目を迎えました。今年5月には鹿島海軍航空隊跡地(美浦村)大日苑(稲敷市)などを巡りました。

 今回は人間爆弾「桜花」特攻と関係が深い神之池(ごうのいけ)海軍航空隊跡地、および資料を見学するため桜花公園(鹿嶋市)神栖市歴史民俗資料館(神栖市)を訪問しました。

 当日は、予科練平和記念館のお隣、自衛隊武器学校(土浦駐屯地)での記念行事と重なり、参加者の駐車場確保に奔走することとなりました。ご不便をおかけした皆様には、あらためてお詫び申し上げます。

 予定より少し遅れながらも無事に出発し、稲敷市の大杉神社に立ち寄ってお参りしてから鹿島方面へ向かいました。

 これまでは阿見町近辺の戦跡巡りでしたが、今回は片道約90分を要する遠出でした。バス車中で「桜花」の学習会となりました。資料は当館歴史調査委員が作成してくれたものです。

「桜花」について

◇昭和20(1945年)3月から6月まで使用された(現在の陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地付近にあった第一海軍軍需工廠で生産される)。

◇マル大の名称で開発され「桜花」と命名された。

◇搭乗員は第一線部隊を除く全国の実施部隊搭乗員から選抜された(回天や震洋隊員のように、予科練や飛行予備学生など基礎教育中の者から選抜されたのではなかった)。

◇桜花は攻撃目標である敵艦付近まで「一式陸上攻撃機」の胴体に吊られて運ばれ、発進した。

◇桜花搭乗員戦死者55名(うち予科練出身者38名、飛行予備学生出身者11名)。一式陸上攻撃機搭乗員戦死者数365名(うち予科練出身者233名、飛行予備学生出身者24名)。

◇桜花部隊は昭和19年10月に百里原基地(現在の小美玉市)で編成され、桜花・一式陸上攻撃機・零戦などから成り「神雷部隊」と呼ばれた。同年11月に神之池海軍航空隊に移動し訓練開始。

◇訓練は零戦をグライダーのように操る方法が主だったが、一式陸攻から切り離されて着陸する訓練が1回だけあった。桜花には着陸用のそりが付けられていたが事故が多く、多数の殉職者を出した。

◇桜花特攻作戦は鹿屋基地(鹿児島)から10回の出撃を数えた。目標は沖縄上陸作戦中の連合艦隊艦船。

◇桜花は一式陸攻から切り離される前に、母機の一式陸攻もろとも撃墜されることがほとんどだった。

◇桜花の戦果は駆逐艦1隻撃沈。他、3隻に損傷を与えたにとどまる(アメリカ軍発表に基づく)。

 

 特攻という体当たり攻撃の発想が生まれたことには大きな問題点があるわけですが、桜花がたどった結末をこうして後世に知ると、更に「なんということが行われてしまったのか」と思わざるを得ません。

 予科練平和記念館第7展示室にて公開している上田兵二氏の遺書を以下にご紹介し、今回のブログを閉じます。

 

上田兵二(福島県出身、第7神雷桜花隊、昭和20年5月4日戦死、乙飛17期、20歳)

遺書

死 顧みれば二十年星霜の父母の御厚恩に対し深く御礼申し上げます。何一つとして御恩返しも出来ず甚だ遺憾に思ふ所があります。併しながら遂に其の時が参りました。此の未熟なる小生も○○の一搭乗員として敵空母を枕として太平洋の飛沫と消え父母の御恩に報いる事の出来た事を誠に喜びに堪えません。此れも皆生前父母様の御厚恩の賜と深く感謝いたします。身体は亡びても魂は永遠に護ります。

一億同胞の期待するが如き働きもなし得ざるも鬼畜米英に対し少々たりとも精神的物質的損害をあたへた事は御厚恩に対し万分の一なりとも誠に喜びに堪えません。もとより小生も名誉の功の為に突撃したのではありません。只護国の神として靖国神社にまつられる丈でも高栄の至りです。神州男子の誉此の上もなくこの感激を胸に抱きて、吾は七生報国を誓ふものなり。

後の事は宜敷御願い致します。お母さん兄弟姉妹の御健康御幸福をお祈り致します。

昭和20年2月17日

海軍一等飛行兵曹 上田兵二

母上様

一 婦女関係ナシ

一 金銭貸借ナシ

ナイトミュージアム!

12月 1st, 2012

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

師走の12月、いかがお過ごしでしょうか。

冬の訪れとともに、風邪やノロウイルスが流行りだしたそうです。

皆さんもどうぞお気をつけくださいね。

 

前回、元予科練生で現在は大阿舎利(だいあじゃり 特の高いお坊さんをいいます)の

酒井雄哉(さかい ゆうさい)さんをご紹介しましたが、

実は当予科練平和記念館の解説員さんのなかで、実際に

大阿舎利にお会いした方がいらっしゃるんです。

 

解説員Sさんは、酒井大阿舎利が2度目の千日回峰行の終盤、

京都市内を歩いていた時にお会いしたそうですが、

やはり厳しい行をなさる方だけあって、パワーのような、オーラのようなものを

感じたそうです。

 

解説員Sさんと私Wは、兄弟構成が同じで、大学が同じで、

しかもサークルまで同じだったことが先日判明しました。

大先輩と一緒にお仕事をすることができて、とても嬉しいです!

また、Sさんにあやかって、ひょっとしたら私も

酒井大阿舎利にお会いできる機会がいただけるのでは?!と

密かに期待しております。

 

 

さて、昨日の夜はイベント「ナイトミュージアム!」を実施しました。

夜の予科練平和記念館の中を、ペンライトで照らしながら探検するツアーです。

ツアーは2回行い、当選された50名のお客様が、普段とは違う雰囲気の館内を

楽しまれました。

 

 

 

 

 

このすてきな写真を撮ってくださったのは、常陽リビング誌のS記者です。

やはりプロが撮る写真は違いますね!

雰囲気がとってもよく伝わってきます。

私はツアーをナビゲートしていて全然写真が撮れませんでしたので、

大変ありがたくブログに掲載させていただきました。

S記者さま、ありがとうございました!

 いつも丁寧に取材してくださり、素敵な記事にしてくださってありがとうございます!

 

 

ご参加の皆さんは小学生から年配の方までと幅広く、

お友達どうしやご家族でご参加くださった方も多かったです。

みなさん楽しそうにペンライトでいろいろなところを照らしていらっしゃいました。

 

 

最後には、天井の高いロビーにマットを敷いて、

その上に寝転がってみたりしました。

ロビーには窓がたくさんあるので、昼間は空がきれいに見えますが、

夜になると、月や星、それからぴかぴか光りながら飛行機が飛んでいるのが見えます。

 

当日はあいにく曇り空で、皆さんに館内から見えるきれいな月をお目にかけることが

できなくて残念に思っておりましたが、それでも、寝転がって天井を照らすだけでも

おもしろい雰囲気でした。

 

実はこれ、休館日に職員で救急救命講習をした際に、床に寝転がって上を見たら、

天井が高くてなんだか気持ちがいいな、と思いまして、

いつか皆さんにも体験していただきたいと思ったことから、今回やってみました。

 

当日の館内は、私たち職員も見たことがない、参加された方の光だけで作られた、

不思議だけどなぜかあたたかい空間になっていました。

 

暗がりの中自分の光で見つけた資料は、きっといつもより特別なメッセージを発して

いたかもしれませんね。

 

私たち館の職員も、特別でとても楽しい時間を過すことができました。

ご参加くださった皆さん、ありがとうございました!