館長日記    ー母ー

1月 18th, 2012

 早、松の内も過ぎ辰年の活動開始です。

 今年の松の内は例年になく寒さの厳しい日々でした。

 今年も初日の出を楽しみにしておりましたが、曇りの朝となり残念でしたが気持ちを新たに頑張ります。

皆様にとりまして、すばらしい一年でありますよう心からお祈りいたします。

 

 元日を大正月(男の正月)、15日までを松の内と、そして15日を小正月(女の正月)とよびました。

三が日を大変忙しく働いた女の方(母)に休んでいただくことで、この日を女の正月としたそうです。

また、この日は元服の儀式(年齢12~16歳男子が社会的に一人前の扱いを受ける)とされ、

これが後の成人の日となったそうです。成人の日は昭和23年に制定されたされました。

 

 1月12日(木) 北海道帯広市より母(47歳)、子(男ー14歳)の訪問を受けました。

少年が是非とも行きたいとの事であったようです。少年は大変満足され、感激したようでした。

その様子を見た母は少年がとても立派に育ったと感じたそうです。

少年が立派に見えましたが、伴に来館された母親はもっとすばらしい人に思われました。

 

  予科練生の思いが伝わったかも知れませんね。  やはり、母は偉大です。

予科練生も母を慕い、尊敬しておりました。

  母と子の関係がよいほど、平和な家庭があるのではと実感しました。

 

  今の平和な時代にこそ、予科練生の思いが少しでも伝わればと地道ではありますが一歩一歩と全国の皆さんに

発信して行きたいと考えております。

 

  春の音も少しづつ近づいております、記念館の四季折々の風情も楽しんでいただければと思っています。

  今年もよろしくお願いいたします。          ご来館をお待ちしております。

 

予科練生の思い

12月 14th, 2011

 70年前の昭和16年12月8日。

日本は米、英に対し宣戦布告をしました。太平洋戦争の始まりです。

 この時、土浦海軍航空隊には予科練生4954名が在籍し、訓練をしておりました。

開戦を知らされ、彼らはどう受け止めたでしょうか。

開戦時における彼らの感じたことは、とても少年とは思えないほどの考えを持ち、

自分たちが国を守るという強い信念を持ったようです。

 他人のことはどうでも自分だけ良ければの今の時代ではとても考えられないことでしょう。

 15~20歳前後の少年たちが国の平和、家族の平和を願い

何を思い、厳しい訓練に耐え、身を挺して国難に立ち向かっていったのか・・・・、

今の平和がこの様に多くの犠牲のうえにあること・・・・、

いつまでも忘れてはいけない歴史ではないでしょうか。

 歴史を後世に伝え、命の尊さ、平和の大切さをこらからも発信してまいります。

 また、今年は大変な年にもなりました。

忘れもしない、3月11日の東日本大震災の発生です。

まもなく新年を迎えますが、被災地ではまだまだ、大変な生活を送られている人がたくさんおられます。

普段の正月が迎えられますよう願うばかりです。

 これまでそして今も救援活動をされている人々には、ほんとうに頭の下がる思いです。ご苦労様です。

 

 今年一年、皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。

 新しい年を迎えるにあたり、更なる繁栄と平和を願い、皆様のご多幸をお祈り申しあげます。

 

 

 

 

 

館長日記

12月 2nd, 2011

 師走に入りました。

 暖かい日もあれば、寒い日があったり天候不順の日が続くこの頃です。

しかし、この記念館周辺はちょうど秋の色が深い情景です。

 空が蒼く澄み切った日は、紫峯”筑波山”がとてもきれいです。

 最近、ご家族での来館者が目立つようになりました。特に土、日、祭日が多いようです。

 先日、三人家族(父、母、子)が来館され、館内を熱心に見学されました。

ちょうど帰り際に私とすれ違い、少年から”ありがとうございました”と声をかけられました。

突然のことにびっくりしましたが”しまった”と感じました。

 ”感謝の心、そして人を思いやる”とても大事なことを、改めて教えられました。

この家族がとても幸せに見えました。

この様な少年がいる限り、日本はいつまでも平和でないでしょうか。

 これからも多くの少年たちが来館され、”ありがとうございました”との

声が頂けるようもっともっと精進したいと思います。

 予科練生が過ごした霞ヶ浦、そして予科練平和記念館を訪ねてみませんか。

                                   お待ちしております。

 

 

 

一復興への力一

10月 18th, 2011

世界体操選手権大会が首都東京で開催されました。

日本の男子代表選手2名がメタルを獲得しました。
内村選手(22歳)金メタル、山室選手(22歳)銅メタル。
内村選手は大会3連覇を達成しました。

体操日本を印象付けたこと、そして大震災や台風の影響で大変な日本に明るく、
夢が実現した出来事でした。

二人が表彰台に上がり、国歌が流れ、日章旗が掲揚され感無量でした。

白地の中に真紅の丸が・・・。何を意味するのだろう。
白地に赤丸が日章旗として用いられた経緯は諸説が在り、正確には不明だそうです。
しかし、紅白がめでたい配色とされていたようです。

この様な時こそ、日本人の活躍が力となり、復興への希望となるのでは
ないでしょうか。

戦争を知らない若い世代の人たちが先人たちの思いを受け、今日の日本を盛り上げ、
一日でも早い復興の力になってもらいたいです。

若い人たちの活躍が目立つようになりました。皆さん故里が大切なんですね。

これからの日本を背負う、若い人たちの心の支えになればと思っております。

ご来館をお待ちしております。

ー 空 ー

9月 24th, 2011

久しぶりの晴天、空が真っ青
霞ヶ浦周辺は今、まさに稲刈りのシーズンです。

原発の影響により放射能汚染が心配されましたが問題はなく
おいしい米が食べられそうです。

刈り入り後の田んぼにはシラサギ、ハト、スズメ、トンビなど
多くの鳥たちが落穂のご馳走を啄ばんでおります。
又、名峰”筑波山”を眺望し、広大な”霞ヶ浦”を見下ろし
雄大な空を自由に飛び交い,爽快であろう・・・。

予科練生も飛行機乗りになり、雄大な空を自由に飛んで見たい一心で
難関を突破し、入隊しました。

しかし、彼らは戦況の変化により、戦地に飛び立ったのです。
飛行機乗りへの夢は叶いましたが、とても悔しいことになってしまいました。

澄んだ空を、鳥たちが気持ちよく飛んでいる光景を、見ることが出来るのも
60数年前に先人たちの多くの尊い犠牲のうえに、今の平和があることを
真摯に受け止め、感謝できるこころを持ちたいです。

平和を恒久に続けていくことが先人たちへの供養ではないでしょうか。

話は変わりますが、世の中には自分にそっくりな人が三人は居るといわれます。
当館で開催中の特別展”土門拳のまなざし”の一枚の写真(卒業記念)の中に
私の幼少時代とそっくりの少年がおりました。

何かを感じられずにはいられません・・・。

これからも阿見町のブランド”予科練平和記念館”の発展に
精進してまいりますので、ご支援よろしくお願いいたします。

ご来館をお待ちしております。

ー山本五十六と料亭K-

9月 3rd, 2011

実るほど頭を垂れる稲穂かな
今年も豊作であって欲しいものです。

先日、霞ヶ浦海軍航空隊の副長であった山本五十六ゆかりの料亭K(土浦市)で
食事会がありました。

料亭のおかみさんと予科練平和記念館の歴史調査員I氏の
講話(山本五十六と料亭K)を拝聴しながら食事が始まりました。

山本五十六、そして霞空、土空の士官たちが
武勇伝や日本の将来を語り合い、飲み明かし、楽しい一時を
過ごされた様子が感じられました。

料亭Kは明治33年創業の老舗。
名の由来は当時、この料亭から霞ヶ浦が眺望でき、湖面に写る月の
美しさに魅了され命名したそうです。(すばらしい。)

また、先代の社長は昭和4年に、霞空に飛来したツエッペリン伯号に
乗船した少年でした。(すごい。)

予科練平和記念館(阿見町)に立ち寄り、予科練を学び
料亭K(土浦市)を訪ね、山本五十六を偲ぶのも
歴史の楽しさではないでしょうか。

感じ方は人それぞれでしょうが、歴史とはほんとうに
おもしろいものと思いました。
先人たちの思いを感じるものですね。

予科練平和記念館も歴史の1ページである予科練生の
思いが、少しでも感じていたただければと思っております。

特 別 企 画 展
土門拳のまなざし  ー戦中、戦後と”幻”の写真ー  開催中

ー終戦の日ー

8月 16th, 2011

毎日、暑い日が続きます。
皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

熱い夏がやってまいりました。

66回を迎える終戦の日、
何かを思い、何かを感じるのは私だけでしょうか。

元予科練生をはじめ、戦争体験者のほとんどの方々が
80歳を過ぎました。ようやく当時の様子や時代背景を
語り始めたそうです。
命の尊さ、平和の大切さを後世に伝えなければ
という思いが強くなったそうです。

あまりにも平和な時代への警鐘でしょうか。

私たち戦後生まれの人たちは、ほんとうに平和な時代を過ごして来ました。
先人たちの偉業を一度は深く思いやることも必要ではないでしょうか。

昨年、茨城県立竹園高校演劇部が上演した”白雲ととどまりて”
ある予科練生の遺書(当館所蔵)を基にした舞台でとても感動した好演でした。

今年も水戸の県民文化センターで上演されました。
同世代の少年たちが国のため、家族のため、平和のためと
尊い命を亡くしました。その事実をしっかりと受け止めた彼らは
昨年よりも迫力を増し、深みのある上演でした。

今の少年たちも昔の少年たちのように夢を追い、生まれてきたことに
喜びを感じているようでした。

一人でも多くの若者が、今の平和が多くの犠牲のうえあることを
感じて欲しいと思います。

まだまだ、暑い日が続くようです。お体をご自愛のうえお過ごし下さい

土門拳のまなざし -戦中、戦後と”幻”の写真ー
10月30日まで開催中です。

~平成の予科練生~

7月 24th, 2011

皆さんお変わりありませんか。
毎日が35度を超える暑さが続くと思えば、秋を思わせる気温となり
どうなっているんでしょう?
しかし、暑い日はこれからです。
熱中症には十分注意し、お過ごし下さい。

さて、記念館では平成の予科練生を迎えました。
それは山口県下関にあります、海上自衛隊小月教育航空隊です。
予科練に例えれば甲種飛行予科練習生ではないでしょうか。
制服は予科練に因んで七つ釦だそうです。

この日は真っ白な夏の服装で来館され、
その姿は海軍らしく、凛々しく輝いており、
当時の予科練生の姿が目に浮かぶようでした。

やはり、パイロットに憧れ、飛行機が好き、海軍のかっこよさに引かれ、
入隊したようです。

ちょうど、この日は元予科練生の講話があり、
熱心に聴いており共感されたようでした。

この航空隊の先輩たちは日本のヘリ空母”ひゅうが”に積載されている
ヘリコプターで東日本大震災の支援、救援をしているそうです。
大変ご苦労様です。
私たちは一日も早い復興を願うばかりです。

この様に自衛隊の皆さんは各方面で活躍され、益々の活躍を期待するものです。

記念館では7月28日より10月30日まで
特 別 企 画 展
土門拳のまなざし~戦中・戦後と”幻”の写真~を展示いたします。

ご来館をお待ちしております。

~入館者10万人達成に思う~

6月 15th, 2011

平成23年6月5日(日)午後1時

昨年2月2日の開館以来379日
待望の10万人目の入館者をお迎え致しました。
阿見町在住のご家族でした。

大震災の影響もありましたが地元町民の皆様をはじめ、
関係者各位の特段のご理解とご協力、
そして予科練生19,000の英霊が見守ってくれたものと、
受け止めております。
誠にありがとうございました。

さて、当記念館には自慢の展示解説員(男性2名、女性5名)がおります。

日々、展示資料への研究に勤しみ、自分自身を研いては予科練生の思いを届け、
元予科練生やご遺族の皆様には特に気を配り、
団体のお客様への対応はもちろんのこと、接客にはとてもやさしい職員です。

今、当記念館では毎週土、日の、
午後2時より、定時展示解説を行っております。

これもより多くのお客様にご来館いただけるよう解説員の、
提案によるものです。
とても好評です。1度ご利用下さい。

また、お客様が気持ち良く入館され、
ご利用頂けるよう館内と公園周辺を清掃されている、
シルバー人材センターの職員

館内にある売店(町商工会の運営)では町の特産品、
予科練クッキー、予科練グッズ等などの販売をしております。

このように当記念館は毎日8~9名のスタッフにより開館しており、
この職員の日々の献身的な努力と、
記念館への思いやりが伝わっております。

10万人達成もこのスタッフの努力の計り知れないものを
感じております。

忘れてはならない歴史の1ページを、
そして命の尊さ、平和の大切さを
後世に伝えていきたいと考えております。

予科練生とともにスタッフ一同ご来館をお待ちしております。

~後世に伝える~

6月 7th, 2011

5月29日(日)第44回予科練戦没者慰霊祭が挙行され
昨年に続き参列いたしました。

大震災の後でもあり、開催が危ぶまれましたが
厳粛の中にも盛大に行われました。
生憎の雨でしたが、大震災等の不幸な出来事を洗い流してくれそうな雨でした。
元予科練生は雨も苦にせず
英霊に対し特別な思いを胸に”きりっ“とした姿勢で参列されました。
感心するばかりでした。

国を思い、家族を思い、平和を願う思いは
今もしっかりとお持ちになっている様子が感じられ、
予科練生の思いを後世に伝える者として考えさせられるものがありました。

また、海原会様代表の挨拶の中で当記念館への思いの言葉を頂きました。
“雄翔園、雄翔館、そして予科練平和記念館と予科練への思いは消えず
命の尊さ、平和の大切さを後世に伝える施設として
意義深いものがある”との事でした。

後世に伝える施設としての責任の重大さを重く感じる言葉でした。
彼らに見放されないよう、精進せねばなりません。

今後も引き続き御支援下さいます様お願いいたします。
元予科練生は来年も再会することを誓い合い散会いたしました。

話題は変わりますが
某テレビ局の番組“おひさま”の中で予科練生が誕生しました。
須藤陽子の次兄茂樹です。

昭和14年4月1日、海軍飛行予科練習生として入隊し、
ここ阿見町の霞ヶ浦海軍航空隊で訓練を受け、戦地に就かれたようです。
そして長兄春樹も軍医として海軍に入るようです。

さて今後は・・・・。テレビにて。

その舞台でもあった阿見町には昨年2月2日にオープンした
予科練平和記念館があります。

阿見町は1921年(大正10年)霞ヶ浦海軍航空隊の開設より
海軍の町として90年の歴史を刻んでおります。
当館は、その中でも特に関わりの深い予科練(海軍飛行予科練習正)の歴史を
展示公開しています。

忘れてはならない歴史の1ページを知るため、
そして命の尊さ、平和の大切さを後世に伝える施設であります。

是非、ご来館いただき七つボタンの予科練生にお会いし、
少年たちの思いを感じて欲しいと思います。

お待ちしております。
平成23年6月7日
予科練記念館館長 糸賀富士夫