飛行適正検査

3月 2nd, 2018

今年は寒さの厳しい日が続きましたが、やっと春の気配が感じられるようになりました。

今月当館では、10日に「おはなしとむかしあそびの会」を開催します。

25日には、講演会「ペリリュー島の戦い」を開催します。講師は予科練歴史調査委員の大橋良一さんです。詳しい内容は新着情報をご覧ください。

 

18日に自転車レース「アーミライド サイクルキャンプin阿見町」が、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校内で開催されます。また同日予科練平和記念館の広場で、阿見町の魅力をつめこんだ「まい・あみ・マルシェ」を開催します。冬から初春にかけた味覚である特産野菜や飲み物・食べ物を販売します。さらに自転車関連のブースや、大ヒットアニメの「ガールズ&パンツアー」ブースも出店します。

詳しい内容につきましては、阿見町のウェブサイトをご覧ください。

 

飛行適性検査について

予科練生は入隊して数か月後に、操縦と偵察にコースが分けられる飛行適性検査が行われました。この検査によって操縦分隊と偵察分隊とに編成替えされ、以後それぞれの進路に適合した日課が組まれました。

飛行適性検査には通信適性検査、地上適性検査、操縦適性検査があり、いろいろな角度から総合的に行われましたが、中でも地上適正検査では、人相や手相の鑑定も行われました。

鑑定士を海軍航空本部嘱託として採用し、人相と手相を調べさせて適性検査に用いたそうです。

人相と手相の判断を取り入れたのは、当時の海軍航空本部に所属していた山本五十六元帥(当時は航空本部長)と、特攻隊の生みの親と言われた大西瀧治郎中将(当時は教育部長)でした。

「入隊して三カ月経ったころ、操縦組、偵察組に分かれた。連合艦隊司令長官山本五十六元帥が凝っていたという手相、骨相で振り分けられた。十人ほどの手相師、骨相師の前に一人ずつ立つだけの簡単な検査で、小柄で闘争心がありそうな者は操縦に、大柄で頭がよさそうな者は偵察に回された。

 一見、非科学的にみえるが、戦闘機や小型機など単座飛行機にも乗る操縦員と、大型飛行機で爆撃の照準を合わせる偵察員の特性を考えると、あながちばかげているわけでもなかったのだろう。どちらかといえば前者の私は、操縦組。パイロットになれてうれしかった。」

『等身大の予科練』(常陽新聞社)から濱田外夫(甲13期)さんの話を一部抜粋し紹介しました。