「Reyte-予科練生が見たレイテ沖海戦」④

12月 28th, 2014

 今年も残すところあと3日となりました。

 阿見は、関東らしく暖かな年末を迎えています。

 本年も予科練平和記念館をお引き立て下さり、誠にありがとうございました。来年も、引き続きご愛顧賜りますよう、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 予科練平和記念館は年末年始のお休みをいただきます。12/29(月)~1/3(土)が休館日です。

 新年は1/4(日)から開館いたします。お正月の休暇をご利用いただき、是非、予科練平和記念館へお越し下さい。

 

 12/20(土)には、元予科練生・久津美(くつみ)明氏(甲飛14期)を講師にお迎えし、講演会を開催しました。貴重なお話しを伺うことが出来ましたが、こちらのブログでも、引き続き橋原正雄氏の貴重なお話しをご紹介いたします。

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 愛宕での次の戦闘がミッドウェー海戦なんですがね。このミッドウェーというのがハワイのちょっと下、西にあるんですね。この海戦のときにはたいへんな艦隊だったんです。航空母艦が4隻、2等巡洋艦も2隻くらいいて、あと駆逐艦が7、8隻、これは大艦隊です。

 それで、母艦を護衛して行ったんですけれど、結論から申しますと、このミッドウェー作戦というのがたいへんな失敗でした。4隻の大型航空母艦がボカ沈食らっちゃった。加賀、赤城、飛龍、蒼龍、この4隻の大型航空母艦が沈められちゃったんです。

 色々手落ちもあったんですね。第1の手落ちはですね、とにかくあの付近はハワイに近いし、アメリカの艦隊が来ているという想定をしていたので、艦隊攻撃用の魚雷、空中魚雷と言っていますが、全部飛行機に装填してミッドウェーに入って行ったんです。それで、いざ飛び出そうと思っていたら、なんとその飛び出す前に、偵察に出ていた95式水上観測機から「今この付近には敵の空母は一つも見当たらない」と、飛び出して行ってから1時間近く経ってから報告が入ったんです。

 たまたま私はその時艦橋のすぐ右脇の高射装置という指揮所にいたんですよ。そしたら艦橋の話が手を取るようによく聞こえて、特に艦長の声が、体の大きな人でしたから大きな声でね、まだ偵察機からなにも連絡はないかとか、何回も聞こえました。

 多分、航空参謀の具申だったと思うんですが、この辺に艦隊はいないから、陸上砲撃に切り替えたらどうだと。しばらくしてから急遽、飛行機に、攻撃用の爆撃機に装填してある弾薬を全部陸上用に取り替えろという号令が出たんでね。私はすぐ右側の高射装置に、指揮所にいたんですけれども、相手の軍艦がいないんじゃ相手の飛行機も飛んでこねぇなと、そんな安心した気持ちでもいたんですよ。

 今装填した弾薬をみんな降ろして、また陸上攻撃用に取り替えしていた真っ最中に敵機がやってきた。どこから来たのか分からない。あの時は、グラマンのね、F4F、F6F戦闘機が先に来て、それからP38、これは胴が2つある戦闘機、双胴の戦闘機ですね、それからあと一つはP51、この3種類の戦闘機が入れ替わり立ち替わりやって来ましたね。それでまたたまげちゃった。あんな戦闘機が来るんじゃ近くに艦隊がいるという判断をしまして、それで艦隊攻撃用にまた、せっかく降ろしたやつを、艦隊攻撃用にまたセットし直したんです。そんなことをしているうちに今度はまた向こうさんの中型爆撃機、こいつがそれこそ雲霞の如くって言うんですか、空が黒くなっちゃうくらい、もう編隊を組んでね、大編隊で来たわけ。たぶん向こうではね、潜水艦がこちらの動向をキャッチしていたんですね。

 いやぁそれこそね、驚くほど来たんですよ。それで、距離が遠いときは愛宕の主砲が火を噴くわけですけど、45㎝でしたかね、それから高角砲が20㎝、2連装の片舷が2基ずつ、8基ですね。8門が一斉に、愛宕だけじゃなく高雄、鳥海、摩耶という、4つの一等巡洋艦が一斉に火を噴きました。とにかく航空母艦ばかりに敵は突っ込んで行くわけですよ。私らもちょうど水平線の辺りから敵の来るのを待っていたんだけれど、1機も私らの方には向かって来なかった。母艦だけ沈めて、みんな引き上げちゃったんですね。戦闘機にしてもですね、弾の中をくぐって突っ込んできましたよ。急降下でやってきます。バリバリって機銃掃射してヒューとひっくり返って退避していきました。そんなことが何回も繰り返されました。それこそ10分か20分の間でしたね。

 それから味方に近付いて行きましたら、航空母艦4隻が煙を吐いているんですよ。加賀、赤城、蒼龍、飛龍、それから巡洋艦の三隈っていう巡洋艦も1隻、沈められちゃったんですよ。それこそ大負けです。大敗でした。

大破した三隈 

 このすぐ後がソロモン海戦です。ガダルカナル撤退作戦、これは夜中にやったんですけれど、これは成功したんですよね。第3次のソロモン海戦に今度は栗田中将が第二艦隊の司令官となって第3次ソロモン海戦に行ったんですよ。

荷揚げに失敗した輸送船(ガダルカナル)

 その次に参加したのがインド洋作戦です。このインド洋作戦は第二艦隊だけが、これは18年の3月ですけれど、このとき私が零艦で観測命令を受けて、愛宕から飛び出して行ったんです。この時の零式観測機、装備と言いますとね、機銃が、20㎜機銃が2門、前と後ろに。これは搭乗員2人ですので、前と後ろに1門ずつ。で、旋回機銃というのがありましてね、グルグル回るやつですね、あれが1門あって、計3門の機銃を積んでおります。まあ、あまりあれですね、この機銃を使うことは私は一度もありませんでした。敵の戦闘機にでも見つかったらおしまいですよ。なぜかって言うと、下駄を履いてますからね。フロートが付いてるでしょ、スピードは遅いし、それで重量もあるし、これも相手のアメリカの戦闘機見つかったらまず助からないですね、残念ながら。

 この時インド洋で遭遇したのがイギリスの艦隊で、母艦が2隻、巡洋艦が2隻、駆逐艦が数隻、大艦隊ではないけどね、母艦も中型母艦でした。あの時は東方向に30度、距離いくつの地点、ということを愛宕に打電したんです。そしたら2番艦の高雄だけが艦隊からピョーっと外れて、その東30度方向に向かってきたんですよ。これは愛宕じゃねぇな、高雄みたいだな、と思っていると高雄が主砲攻撃を始めました。そしたら何とね、1番艦を狙ったやつが2番艦に当たったんですね。いずれにしても当たったんだからよかったんだけれども。上で見てましたらね、艦隊の1番艦を狙うよという話が入ってきたんです。そしたら2番艦に命中しましてね。

 そこへちょうどスコールが来ちゃったんですよ。今でも覚えています。真っ黒い雲でね、スコールがパーって寄ってきて、イギリスの艦隊を塞いじゃったんですね、スコールが。だからもう全然見えなくなっちゃった。多分飛行機がね、先ほども話しましたように、重い飛行機ですからね、下駄履きですから、スコールの中へ入ってしまうとなかなか抜け出すことが出来ないんです。だから、すぐそこから帰っちゃったんですよ。

 で、帰ってきたらですね、今度は飛行長に怒鳴られまして「お前は何しに行ったんだ。偵察じゃなくて観測に行ったんじゃないか」と。確かに偵察の結果は報告したんです。イギリスの艦隊が母艦が2隻、巡洋艦が2隻、あと駆逐艦が数隻いますよと、いうことは報告したんです。ところがそのときは観測機だけを飛ばしたわけです。帰ってきたら飛行長に怒鳴られましてね、いや、そう言えばそうだなぁ、俺は観測員だなぁなんて思ったわけなんです。

ラバウルブイン基地

 まあ、そんなわけで、インド洋作戦というのはスコールが入ってきたんで、残った艦隊はそのスコールの中に潜っちゃって、ずーっと南の方へ遁走した。逃げて行っちゃったんですね。このインド洋作戦というのが、初めてカタパルトから飛び出して行って、それでアメリカの艦隊じゃなく、イギリスの艦隊にぶつかったわけです。