おおらかに生きる②「阿見上空の飛行機」

12月 22nd, 2011

 今年も師走を迎えました、と、このブログで書きましたが、はや年の瀬を迎えようとしています。「もう夏か」「もう秋か」と同じようなことを言い続け、そうなるだろうと思っていた通り「もう正月か」と言うことになりました。光陰矢の如し…。しかし時の経つのが早く感じられるのは、今成すべきことが多いという裏返しなのでしょう。その意味で「中年真っ盛り」の私は、積んできた経験を自身に、またお世話になってきた方々へ一所懸命に還元していることを、むしろホッとするべきなのだと考えています。そういう時を迎えられることが、ありふれたようでも、人生にとって最も大切なことかと中年の私は思います。

 

 とは言え、仕事に忙殺されていると心に余裕を持てなくなります。人間、パンのみにて生きるに非ず。日々温かい人情に触れ、また現在の冬景色からも美しさを感じ取り、平凡ながらも今生きていることに安心する、ひいては感謝する気持ちを持ちたいものです。

 

 私が予科練平和記念館に勤務していて癒されるものの1つに、上空を飛ぶ飛行機があります。

 

 

 阿見町には飛行機を管制する誘導塔があるためか、町上空を通過する飛行機の数が多いようです。もう少し南に位置する龍ヶ崎市あたりでは、成田空港への着陸態勢に入っている飛行機、離陸して間もない飛行機がそれこそ機影も大きく飛び交っており、まだ視力に恵まれている私には飛行機会社のマークさえよく見えるのですが、阿見町上空の飛行機はそこまで高度を下げてはいないようです。

 

 

 しかし、最近、当記念館の真上あたりを低空で旋回する飛行機が増えています。成田あるいは羽田への着陸待ちをしているのだろう、と私は見ていますが、そのときの機影はずいぶん大きく映ります。日本の会社で言えばJAL、ANAなどのロゴが私にはよく見えますし、会社名は知らない外国機も確認できます。

 

  

 

 飛行機っていいなぁ、と私は思ってしまいます。なんだか悠々としている。例えば地面を走ればここ阿見町から成田空港までもそれなりの時間がかかりますが、空の常識ではその距離などあってないようなものなのかもしれません。サッとどこにでも行けるとはこのようなことか、と飛行機を羨ましく思ってしまいます。事故が起きないよう様々な取り決めがあって飛ぶための空は狭くなっているのかもしれませんが、私のような素人は自由に空間を切り取って移動していくように見たがるのでしょうか。地にいて私は、大空に、飛行機に憧れます。

 

 

 

 飛行機を見ていると、自分が行ってみたい世界中の景色を自然と思い描き始めるのは私だけでしょうか。「日曜日には地図を見よ。そうすれば、旅する気持ちで日曜日が過ごせるよ」とイギリスの作家が書いていたのを思い出します。空と飛行機は、なんと大きな力を内蔵していることでしょうか。

 

 かつて大空に憧れて入隊した予科練生も多いと聞いています。自由に飛んで、思いのままに移動してみたい、とは、人間が誕生したときから心の奥底に潜む根本的な欲望なのかもしれません。

 

 空を飛ぶことは今日、平和を作り出すためにのみ利用されている手段ではありません。しかし、空飛ぶ飛行機を見て理屈なしに「ああ、いいなぁ」と思う気持ちを私は大切にしたいと思います。

 夢が膨らむ、とはこのような気持ちを表すのではないでしょうか。