「母校へ出前講座」

10月 15th, 2010

10月14日(木)

季節の移り変わりは早いもので、春に満開であった桜も、
今は紅葉し、枯葉散る季節となりました。

先日10月12日(火)に、母校の土浦第三高等学校へ、
予科練についての講話に伺いました。
メインの講師は、先日、予科練平和記念館でも体験談をお話頂いた、
元予科練生の仲川武男(81歳)さんです。

土浦三高は、現在桜の名所となっていますが、
太平洋戦争当時は、土浦海軍航空隊の適性部(*)が置かれていた場所です。
私が在学中(昭和38~41年)は、歴戦の後を残す木造2階建て校舎が、
太平洋戦争当時のまま残っており、教室の真ん中に柱がありました。
そんな校舎で授業を受けたものです。

さて、本題の講話のほうは、高校の体育館に生徒250人が集まり、
予科練と予科練平和記館の概要を、私が話した後、
予科練練習生としての体験談を50分間、仲川さんが熱く語りました。
「予科練習生と同じ年頃の少年たち、平成生まれの少年たち・・・・・・」
ほとんど歴史の教科書でしか学ぶことが無い戦争。
まして予科練のことは全く知らない彼らに、
仲川さんの話は、どのように響いたでしょうか?どのように感じたでしょうか?
そして、「60数年前の少年、仲川さんの姿」は、
生徒さんにどのように写ったでしょうか?

彼らに、命の尊さや、平和な社会の有難さが、
少しでも伝わればと思いながら、また、この生徒の何名かでも、
予科練平和記念館に足を向けてくれることを期待しながら、母校を後にしました。

今回の出前講座の活動を通し感じたことは、
記念館にたくさんの人たちに来館して頂くための広報活動も大切ですが、
このような地道な活動を続けていくことが、
命の大切さ、平和の大切さを語り継ぐ上で、重要だと痛感しました。
いつもどのようにしたらより多くの人に、
「命とは、平和とは」どうあるべきか、どう語り繋いだらよいか考えてきましたが、
今回その一つの道筋が見えたような気がしました。

館 長 糸賀 富士夫

(*)適性部
航空適性検査・研究のための施設で、適性方法や検査機械を開発し、その成果が予科練の検査・教育に反映された。当初は、土浦海軍航空隊内にあったが、昭和20年(1945)4月に、現在の土浦三高の地に移った。