「昭和の音色」

10月 28th, 2010

10月23日(土)の午後5時30分、日が沈み辺りが夕闇に包まれるころ、
記念館のラウンジにおいて、当館初のレコード鑑賞会を開催しました。

太平洋戦争の真只中、土浦海軍航空隊でたくさんの予科練生が、
訓練に明け暮れ、束の間の休日に、
聞き入ったであろう昭和初期の歌や音色を、
当時のままお届けできればと企画したものです。

訪れた皆さんは、40名弱と少人数でしたが、
それぞれ当時の情景や思い出を回想させながら、聞き入っておられました。

歌は、世につれ、世は歌につれと申します。
時の流れ、世の移り変わりを、歌は刻んでいるものです。
戦後生まれの我々にも、その当時の情景を、
思い浮かべることができる不思議な力を持っています。
最新のデジタル録音技術の音質には程遠いものですが、
当時の蓄音機とレコードを使用したせいもあって、
その趣のある音色は心に沁み、歴史の重みをも感じることができした。

静まり返った館内に響く音色は、予科練生や兵士たちが、
郷里を想い、家族を想い口ずさんだであろうと思うと、
悲しさと懐かしさの入り混じる不思議な感銘を覚えました。

秋の夜長に、ラウンジを包む空気が、哀愁漂うひと時となりました。

次回は、11月20日(土)午後5:30より記念館で開催する予定ですので、
是非ご来館頂き、ご鑑賞下さい。

館 長 糸賀 富士夫

 

「母校へ出前講座」

10月 15th, 2010

10月14日(木)

季節の移り変わりは早いもので、春に満開であった桜も、
今は紅葉し、枯葉散る季節となりました。

先日10月12日(火)に、母校の土浦第三高等学校へ、
予科練についての講話に伺いました。
メインの講師は、先日、予科練平和記念館でも体験談をお話頂いた、
元予科練生の仲川武男(81歳)さんです。

土浦三高は、現在桜の名所となっていますが、
太平洋戦争当時は、土浦海軍航空隊の適性部(*)が置かれていた場所です。
私が在学中(昭和38~41年)は、歴戦の後を残す木造2階建て校舎が、
太平洋戦争当時のまま残っており、教室の真ん中に柱がありました。
そんな校舎で授業を受けたものです。

さて、本題の講話のほうは、高校の体育館に生徒250人が集まり、
予科練と予科練平和記館の概要を、私が話した後、
予科練練習生としての体験談を50分間、仲川さんが熱く語りました。
「予科練習生と同じ年頃の少年たち、平成生まれの少年たち・・・・・・」
ほとんど歴史の教科書でしか学ぶことが無い戦争。
まして予科練のことは全く知らない彼らに、
仲川さんの話は、どのように響いたでしょうか?どのように感じたでしょうか?
そして、「60数年前の少年、仲川さんの姿」は、
生徒さんにどのように写ったでしょうか?

彼らに、命の尊さや、平和な社会の有難さが、
少しでも伝わればと思いながら、また、この生徒の何名かでも、
予科練平和記念館に足を向けてくれることを期待しながら、母校を後にしました。

今回の出前講座の活動を通し感じたことは、
記念館にたくさんの人たちに来館して頂くための広報活動も大切ですが、
このような地道な活動を続けていくことが、
命の大切さ、平和の大切さを語り継ぐ上で、重要だと痛感しました。
いつもどのようにしたらより多くの人に、
「命とは、平和とは」どうあるべきか、どう語り繋いだらよいか考えてきましたが、
今回その一つの道筋が見えたような気がしました。

館 長 糸賀 富士夫

(*)適性部
航空適性検査・研究のための施設で、適性方法や検査機械を開発し、その成果が予科練の検査・教育に反映された。当初は、土浦海軍航空隊内にあったが、昭和20年(1945)4月に、現在の土浦三高の地に移った。

 

「予科練戦没者慰霊祭」

10月 9th, 2010

先日の10月3日(日)、すばらしい秋晴れの中、
(財)海原会主催の第43回予科練戦没者慰霊祭が挙行され、
招待者として参加させて頂きました。

参列された方々は、主催者の他、
元予科練習生や遺族の方々及び自衛隊の関係者など、
何れも戦没者と縁(ゆかり)のある人たちです。

主催者や参列された元予科練習生は、
皆80歳は越えているはずですが、
軍隊で鍛えあげられた体は今も健在で、
ご高齢とは思えぬ立ち振る舞いに、感心するばかりでした。
戦後育ちの我々のような者とは違う、芯の強さを感じました。

式典は、「若鷲の歌」を合唱した後、
当時をしのばせる飛行機が上空を2度旋回し、会場をもりあげました。
大空に憧れた少年たちが見上げた空を、
当時と同じように眺める元予科練習生の横顔は、
少年のような眼差しに戻り、
大志を抱く姿に戻っていたように写りました。

私がこの式典で最も印象に残ったのは、
遺族の代表挨拶で、
「今の社会は平和であるが、何かが違う、
亡くなられた方々には、現在の社会はどう写っているのでしょう。」
とおっしゃられたことでした。
皆さんは、どう思われますか?
家族のため、祖国のためと亡くなった方々に、
胸を張って今の社会を誇れるでしょうか?
そして、その遺族に顔向けができるでしょうか?

私の年齢の半分にも満たない少年たちが、
死と向き合い戦地におもむく境地など想像もできませんし、
その家族の心情など想像するだけで、胸が痛くなります。

この戦争を知らない我々は、
この戦争からもっとたくさんのことを学び、
平和であることのありがたさをもっと学ぶべきだと改めて感じました。

戦争でなくても人を殺めてしまうような世の中でなく、
本当の平和な社会が訪れるよう祈願して、
献花させていただきました。

これからも日本を背負っていく私たちを、
彼らはずっと見守ってくれることでしょう、
彼らに見放されぬ様、精進せねばなりません。

式典は、最後に参列者全員で、
不戦と核の撲滅を祈り、閉会しました。

元予科練生の皆さんは、
来年再会することを誓い合い散会しました。
その姿は、とても清々しく、輝いていました。

また、来年もこの少年たちと会いたいとものだと思いました。

最後に、
この慰霊祭の準備から開催までお骨折り下さいました、
(財)海原会及び陸上自衛隊土浦駐屯地の皆様のご健康でのご活躍を、
心からお祈り申し上げます。

平成22年10月8日
館長 糸賀富士夫

「姉妹の来館」

9月 29th, 2010

昨日昨夜と、大雨に見舞われた茨城県南部でしたが、
今日は、その余韻を残すような冷たい雨が続き、肌寒い1日でした。

しかし、記念館の中は、たくさんのお客様で大賑いとなりました。

そんな中、ひっそりと来館された二人の姉妹がいらっしゃいました。
このお二人は、寒さ厳しい2月の開館間もない時期に、
父親と記念館駐車場まで来られたそうです。

その日は、とても寒い日で、
「もっと暖かくなってから来よう」といって、
父親は、入館されずに帰ったそうです。
しかし、その父親は、記念館を見ることなく亡くなられたそうです。

一度見たかったろう父の想いを胸に、
父の誕生日にあたる9月28日の今日、
父母の遺影(写真)を胸に擁(いだ)き来館されました。

この経緯を、お二人が涙を流しながら、語って下さいました。
父母を慕うやさしい姉妹に、同時に私も胸が熱くなる思いがしました。

私たちも、父母はもちろんのこと、
家族を思い、先人達の思いを真摯に受け止め、
感謝できる心が大切であると、
改めて考えさせられるひと時でした。

平成22年9月28日(火)

館 長 糸賀 富士夫

「小学校の運動会」

9月 21st, 2010

ようやく、朝夕の風が秋を感じさせる季節になってきました。

私事ですが、先日の9月18日(土)に、
地域の人々を交えた小学校の運動会に参加してきました。

この日の天気は快晴。清々しい1日を過してきました。

久しく遠ざかっていた小学校の運動会。
わが子が通っていた見慣れたはずの小学校なのに、
少し様相が変わっているのを感じました。
それは、児童の数です。

当時は、全校児童300人位だったと記憶していますが、
現在では、120人にまで減少していると伺い、
「少子化がこれほど進んでいるのか」と、改めて驚きました。

しかし、今も昔も子どもたちの姿は、変わりません。

青空の下で駆け回る児童たちを見ていると、
この子ども達が、平和な明るい社会で成長し、
そして変わることなく今の平和な社会が継続され、
明るい未来であって欲しいと願わずにはいられません。

やはり、
「安心して子どもを育てることのできる、安心して暮すことができる。」
そんな平穏な社会がいいですね。

今の館長という仕事を始めて、平和とはどうあるべきか、
自分はどうすべきなのか、何をすることができるのか?
日々考えさせられる課題だと感じています。

平成22年9月21日
館長 糸賀富士夫

「土門拳を訪ねて」

9月 8th, 2010

9月4日(土) 今日も暑い一日でした。

当館の常設展示で紹介しております土門拳の写真は、
彼が昭和19年6月に土浦海軍航空隊で予科練生と寝食を共にし、
撮影したものです。

そこで土門拳とは・・・・・・。
休日を利用し、山形県酒田市にあります土門拳記念館を
訪ねてみました。

この記念館は、酒田市街から南へ3km。飯森山公園の森林に囲まれ、
自然の風景と調和した中にひっそりと建っています。
建物の周りには池が配され、内部からその池を眺める空間に身をおくと、
心が自然と鎮まる、そんな雰囲気を感じさせられました。

展示されているものは、
「写真の鬼」といわれた土門が撮影した写真だけに、
どれも迫力満点のものばかりでした。
ものすごい集中力の中でシャッターを切った様子が、良く伺えました。

残念なことに、予科練生を被写体とした写真はありませんでした。
土門拳は、どのような思いで予科練生を撮影していたのでしょうか?
彼の胸中は、量りきれない深い意味があるように感じられました。
いつかその事が、解き明かされる時が来ると信じたいものです。

皆さんも機会があれば、訪ねてみてはいかがでしょうか?
池の周りには、アジサイが所狭しと植えられ、シーズンの6~7月には、
色とりどりの花を楽しむことができるそうです。
一度は行ってみる価値のある資料館だと感じました。

館 長  糸 賀 富 士 夫

 

土門拳記念館

「元予科練生の体験を聞く」

8月 24th, 2010

2010.8.22
猛暑の続く中、8月22日(日)に第二回目の
「元予科練生の体験を聞く会」を開催しました。

体験を語って頂いたのは、稲敷市在住の仲川武男さん(81歳)です。
仲川さんは、乙種第20期、当時14歳で予科練に入隊しました。

当日の会場は、老若男女を問わず大勢の人のご参加を頂き、
大盛況でした。ありがとうございました。感謝申し上げます。

戦後65年を迎えますが、「忘れてはいけないもの」
「語り継がなくてはいけないもの」
を、大切にしたいと思う人の多さに、改めて感銘を受けました。

話を聞かれた人から、
「予科練で鍛えられた人は、今でもすごく元気ですね」
と言われました。本当に頭の下がる思いです。

私たちも、先人の思いを感じ、いつまでも平和な日本でありますよう、
努力していきたいものです。

これからも、このような企画をより充実し、後世に語り継いで行きたいと
考えています。

館長 糸賀 富士夫

「65回目の終戦記念日」

8月 16th, 2010

平成22年8月15日、65回目の終戦記念日を迎えました。

とても熱い一日となりましたが、
当館始まって来の1,400人余りの方が入館されました。
この日は、終戦記念日ということで、無料開放いたしましたが、
これ程の方が興味を持たれ来館された事は、意義深いこと感じています。
これからも、当館の主旨にご賛同、ご協力を頂き、
「命の尊さ、平和の大切さ」を後世に伝えることを、責務と感じています。

たくさんの方のご来館を心よりお待ちしております。

館 長 糸賀 富士夫