6月10日のこと

6月 11th, 2023

皆様こんにちは。学芸員Yです。
先日の大雨で被害を受けられた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
お天気予報で雨マークが付くと、先日のような大雨になりませんようにと
祈ってしまいます。
備えあれば患いなし。必要なものを用意しておくと安心につながりますよね。
どうか皆様の心が平安でありますように。

関東地方も梅雨入りし、湿気を含んだ空気が木々の緑をより一層濃くしています。
予科練平和記念館の周りでは、巣立ったツバメたちが電線に止まっています。
お隣の公園で遊ぶお子さんたちの声が聞こえ、お散歩にきたワンちゃん達も
楽しそうにしています。

令和5年6月10日。予科練平和記念館はとても平和です。

78年前の今日、地獄のような光景が広がっていたことが想像もつかないぐらいに。

1945(昭和20)年6月10日、この日は日曜日でした。
午前8時頃に空襲警報が鳴り響き、空が真っ暗になるぐらいのB-29の編隊が飛来しました。
予科練習生の訓練基地だった土浦海軍航空隊を主目標として250㎏爆弾が多数投下され、
爆風、熱風、火災、爆発で飛び散った爆弾の破片などで、あたりの景色は一変しました。
今の高校生ぐらいの予科練習生たち、彼らの教官たち、基地で働いていた人たち、
周辺の方々、面会に来ていた人たち。
もし私たちが時空を超えてその場に居合わせたら・・・本当に恐ろしい光景を目の当たりにしただろうと思います。

この空襲で300名以上の死傷者が出てしまいました。
遺体は土浦海軍航空隊適正部(現在の土浦第三高等学校)に運ばれ、重ねられて
荼毘に付されました。
どれだけ無念だったか、悲しかったかと思うと胸が痛みます。

 

毎年この日には、土浦第三高等学校のお隣にある法泉寺(土浦市大岩田1616)にて
空襲の犠牲者の法要が営まれます。
参加者は高齢化などで減ってしまったようですが、ご住職様にお話をうかがったら、法要の時間に来て下さればどなたでもご参加いただけるとのことでした。

法要の後は、参加者全員で慰霊碑や供養塔にお線香を手向けます。

もともとこの慰霊祭は、体験者で結成された「一四(ひとよ)さくら会」が主催していたそうです。
会長の清水さんは現在95歳、毎年東京から慰霊祭にご参加なさっておられます。
少しお話ができまして、また来年お会いしましょうと言っていただけました。

ぜひ、また来年もそのお約束をさせてください。
そのまた来年も、お約束をさせてください。
いつまでも、どうぞお元気でいらしてください。

予科練平和記念館では、この空襲についてたくさんの方に知っていただきたく、
毎年6月10日は展示を無料でご覧いただける日としています。

よろしければ、皆様もまた来年、ぜひご来館ください。
そして、法泉寺さんのご法要にもご参加なさってみてください。
職員一同、皆様のご来館をお待ちしております。

シベリア抑留と予科練習生

6月 7th, 2023

皆様こんにちは。学芸員Yです。
だいぶ蒸し暑い日が多くなりましたね。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

お久しぶりの投稿になってしまいました。
こちらのページをご覧下さった皆様、ありがとうございます。
不定期ではありますが、Twitterなどでは発信しきれない情報を
ブログでもお伝えしていければと思いますので、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

本日は、元予科練習生の講演会のご案内です。
予科練生でありながらシベリア抑留もご経験なさったという、もう
ここでしか聞くことのできない大変大変貴重なお話をじかにお聞きいただける機会です。

今回お話ししてくださる篠原吉宗さんのご経歴を紹介しますと、
昭和4(1929)年6月6日生まれの94歳。
乙種第23期の予科練習生として昭和19(1944)年8月15日に土浦海軍航空隊に入隊し、同月熊本県にあった人吉海軍航空隊に派遣されました。
入隊した時は15歳。今で考えたらまだ中学生の少年ですね。
年があけて昭和20(1945)年2月に、現在の北朝鮮にあった元山(げんざん)海軍航空隊へ派遣されました。
もうこの頃は予科練生と言ってもパイロットになる訓練をすることは難しく、
飛行機の整備等にあたることも多くなっていました。
このとき元山海軍航空隊は特攻隊の基地になっていて、篠原さんは特攻隊員の方が
訓練をしているのを見ながら特攻機の整備をされていたそうです。
そして8月15日、終戦。
現地の人たちが赤旗を立てて隊のまわりを囲い、生きた心地がしなかったそうです。
8月23日、当時のソ連(現在のロシア)軍がきて捕虜になってしまいました。
ここから、篠原さんの3年3か月に及ぶ抑留生活が始まることになります。
抑留期間中の筆舌に尽くしがたい労苦、仲間の死、現地の女性との交流。
壮絶、としか表現することができない体験をなさった篠原さん。
この令和の時代に、お元気な篠原さんのお話をうかがうことができることに感謝しかありません。

今回の講演会では、主に篠原さんのシベリア抑留の経験についてお伺いする予定です。
講演会は会場の関係上定員を設けており、事前予約制となります。
予約は6月7日(水)からお電話にて承ります。
お席が埋まってしまう可能性もございますので、よろしければお早目にご連絡いただけましたらと思います。
皆様のご予約をお待ちしております。

 

『元予科練生が体験したシベリア抑留~3年3ヶ月の記憶~』
開催日時 令和5年6月24日(土)13:30~15:00
開催場所 予科練平和記念館情報ラウンジ
定員   50名
事前予約制 6月7日(水)スタート 開館時間内にお電話で予約を承ります。

来館者が60万人になりました

4月 19th, 2022

今年度より予科練平和記念館の学芸員となりましたyと申します。

これから頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします。

4月も中旬になり、新年度が始まってから少し時間が経過しました。阿見町でも先日まで桜が綺麗に咲き、新年度の開始を祝福しているかのようでしたが、今は緑の葉が茂り、落ち着いた様相を見せています。

当館は今月17日に開館からの来館者が60万人に達しました。記念すべき60万人目となったのは、千葉県市原市から来られた親子2人の皆様でした。

千葉町長と立原教育長から認定証や花束、記念品などを贈呈し、記念として零戦の実物大模型に搭乗していただきました。

当館は平成22(2010)年2月に開館してから毎年5~6万人のお客様にご来館いただいており、臨時閉館していた時期もありましたが、12年と2か月で累計の来館者が60万人となりました。これまで大勢の皆様にご来館いただき、深く感謝申し上げます。

既に来館された方でも、当館の展示資料をすべてご覧になるには、限られた時間では難しいかと思います。ぜひ再度の来館を心よりお待ちしております。また、何度も来館いただける方に、お得な「年間パスポート」をご用意しております。なお、当館では現在、30分ごとの入館者数を25名に制限し、マスクの着用や入り口での検温実施などの感染症対策を実施しております。

これからゴールデンウィークもあり、行楽日和となりますが、新型コロナウィルスの感染者数は依然として高いまま推移しています。

当館では感染症対策を実施の上、連休中も5月2日(月)、9日(月)を除いて開館しております。ゴールデンウィークの連休を機に予科練とはどのようなものだったのかを学びに来館されてはいかがでしょうか。

皆様のご来館お待ちしております。なお、ご来館される際には、電話(029-891-3344)での事前予約をお願いいたします。

臨時休館継続中です

9月 1st, 2021

皆様こんにちは。学芸員Yです。

9月に入り、当館がある茨城県阿見町はぐっと涼しくなりました。

皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

さて、新型コロナウイルス感染拡大の状況下で、予科練平和記念館は

今年5月から臨時休館を継続しています。

本来であれば、特に8月は終戦記念日があることもあって、多くの皆様が

戦時の歴史に関心をお持ちくださる時期なのですが、

残念ながら今年は開館が難しい状況でした。

 

ですが、臨時休館中だからこそできたこともたくさんあります。

状況に合わせてその時にできることを精一杯やっていくしかないのかもしれないし、

その中で、今までとは違ったよいやり方やアイデアがでてくるのかもしれないなと思っています。

 

当館でも、これを機に動画の配信やバーチャルツアーなど、

もっとリモートでみなさんとつながることができる企画もできたらよいなと

思っている一方で、そもそもの力量不足や人員不足などの

現実と理想のはざまで、結局は目の前の仕事をこなすのに精一杯になってしまったり。

 

そんな中ですが、ブログを活用して閉館中の状況をお伝えすることでしたら

すぐにできるかなと思い、

今回は臨時休館中の現在、館内ではどんなことをしているか、をご紹介してみたいと思います。

 

休館中の館内では、普段はなかなかできないお仕事をしています。

その一つが資料のクリーニングです。

 

 

写真は、1939(昭和14)年3月1日に発行された『画報躍進之日本』という雑誌です。

きれいなカラーの月刊誌で、愛読者用なのか、1年分をまとめて綴っておける

オリジナル表紙がついています。

クリーニングしてくださったTさん曰く「元祖〇ィアゴス〇ィーニですね!」

はい、そんな感じです!

 

阿見町内の古い蔵から複数冊まとまって見つかったもので、かなりほこりをまとっています。

虫やネズミによる食害も多く、カビが生えた跡も見られますので、

なかなかハードな状態です。

ここから1ページ1ページ丁寧に状態を確認しながら刷毛をかけていきます。

根気のいる作業ですが、資料を末永く保管してくためには

必ずやらなければならない大切な作業です。

 

本誌のページをめくると、当時の雰囲気がよく伝わってきます。

 

 

“空から見たサハラ大砂漠” 異国情緒あふれます。

 

“昭和の大横綱”双葉山の記事もありました。

 

双葉山関は土浦海軍航空隊(現在の武器学校一帯)に慰問にいらしたことがあり、

予科練習生たちと撮影した写真が残っています。

そういえば元横綱稀勢の里関、現在は荒磯親方が阿見町に部屋を構えてくださるとのことで、

相撲に縁がある町なのかもしれないなと想像し、一人楽しくなっています。

 

クリーニングが終わった後は、1点1点に独自の番号を付けて管理します。

写真を撮ったり、所蔵している資料の台帳データに入力したり、

特殊なガスでカビや虫をやっつけたりと、これからも作業は続きます。

普段は忙しくて、正直こうした細かい作業は後手に回ってしまうことも多いのですが、

現在は休館しているので、落ち着いて進めることができています。

せっかく現在まで残った大切な資料ですので、永く後世に伝えていきたいものです。

 

予科練平和記念館では、予科練に関するもの以外でも、陸軍関係のもの、

当時の生活で使用していたものなども収集しています。

もしブログをお読みの方で、そうしたものをお持ちで保管に困っていらっしゃるようなことが

ありましたら、よろしければ当館にご一報ください。

寄贈のご相談だけではなく、今後も手元に置きたいけれど

どのように保管していったらよいか等のアドバイスもさせていただいております。

あまり言うとうさん臭くなるかもしれませんが、どうぞお気軽にご相談くださいね。

 

不定期ではありますが、今後もブログにて館の様子をお知らせしていきたいと思います。

それでは、また次回お会いしましょう!

気温の変化で体調を崩しやすい時期ですので、皆様どうぞご自愛くださいね!

 

 

古関裕而さんと阿見町

10月 7th, 2020

みなさんこんにちは。学芸員Yです。

朝晩の空気の冷たさ、キンモクセイの香りに秋を感じますね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

予科練平和記念館では、先週末10月4日(日)に戦後75周年交流展「7つのテーマで知る

シベリア抑留」が終了いたしました。

この特別展は、東京・新宿にある平和祈念展示資料館との交流展で、同館が所蔵している

シベリア抑留関係の資料を、予科練の7つボタンにちなんで7つのテーマで展示していました。

コンパクトな会場ながら内容の濃い展示でしたので、反響も大きかったように思います。

ご来場くださいましたみなさま、ありがとうございました。

 

 

現在は展示を撤去し、講演会スタイルに模様替えしました。

今後は講演会などの予定も徐々に復活させていこうと考えております。

詳細は決まり次第館のホームページやTwitter、Facebook等でお知らせいたします。

 

 

さて、みなさんは現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説“エール”をご覧になって

いらっしゃいますでしょうか?

 

“エール”特設サイト

https://www.nhk.or.jp/yell/

 

 

ちょうど今日、俳優の窪田正孝さん演じる古山裕一(古関裕而がモデル)が

土浦海軍航空隊に来隊し、“若鷲の歌”を作曲するという場面が放送されましたね。

 

国のために厳しい訓練に明け暮れる予科練生の姿に触れ、彼らに寄り添う曲をと

裕一が一晩で書き上げた哀愁を帯びたメロディ。

少し幼さが残る予科練生たちが合唱する姿が、歌の力と、その後の彼らを待つ

運命を予感させるような、少し胸がざわつく感じの終わり方でした。

 

 

ドラマでは、裕一が土浦海軍航空隊で予科練生たちの訓練を体験し、

彼らの話を聞いて一晩で曲を書き上げた、というストーリーになっていました。

実際には、古関がすでに作曲していた勇ましい長調の曲を携えて常磐線に乗り、

利根川を渡って茨城県に入った頃、ふと頭に短調のメロディが浮かび、

土浦海軍航空隊で教官と練習生にどちらも聞かせたところ、教官たちは

勇ましいほうを選び、練習生は哀愁を帯びた短調のメロディを選んだ、

この短調のほうが現在も歌い継がれる“若鷲の歌”になった、というのは有名なエピソードです。

当時、レコードの販売数が戦時下にも関わらず23万枚という大ヒットで、

「露営の歌」とともに古関裕而の人気を確固たるものにした記念碑的な曲です。

 

“若鷲の歌”は、予科練生たちにとっても、結束を促し、自分たちのアイデンティティを

より強固なものにする役割を果たしていたようです。

 

1945(昭和20)年6月10日、土浦海軍航空隊はアメリカ軍のB-29爆撃機により

大規模な空襲に見舞われました。

この時の状況について元予科練生が次のように証言しています。

少し怖い表現がありますので、苦手な方はスルーなさってください。

 

 

・・・6月10日の空襲だけは、今でも年に何回か夢をみてうなされ、冷や汗をかいて

目が覚めることがある。恐ろしくて上空の敵機の飛行方向を見て逃げる方向を

判断する余裕もなく、練兵場ならば広いから逃げ場所があるのではとひたすら走った。

 みんなで走っている途中で、茨城県西出身のSがバッタリ倒れた。

「S、どうした。ここにいては危ないぞ!」と怒鳴ると、「俺の足がないんだ!」との返事。

よく見ると、たった今、眼前で炸裂した爆弾の破片がSの左足の踵の上部を貫通して

足が入ったままの靴がSの二メートルも先に吹っ飛んでいる。

 血だらけの足が入った靴をSに渡すと、Sは気丈にも「ここにいては危ない、

一刻も早くここを離れろ。俺はここにいる。後で来い。」と、言う。

 悪夢のような空襲が終わった後、急いでSの所に戻ると顔は青ざめて出血もしていたが、

気丈なSが自分自身でやった応急処置が良かったためか、予想以上に元気だった。

 早速、四名の隊員でSを担架に乗せて霞ヶ浦海軍病院まで歩いて運んだ。

途中、Sを元気づけるために若鷲の歌を歌いながら歩いたように覚えている。途中、長い

長い時間に感じた。(『阿見と予科練』より抜粋)

 

 

 若鷲の歌を歌いながら血だらけの同期生を担架で運ぶ予科練生の姿を想像すると、

何とも言えない気持ちになります。

 何に頼ることもできない極限状態の彼らを支え、俺たちは予科練だ、負けるものかと

友を運ぶ足を前に進める力をくれたのが若鷲の歌だったのでしょう。

元予科練生が当館によくいらしていたころ、若鷲の歌を歌ってくださる方も

たくさんいらっしゃったなぁ・・・と、ちょっと寂しい気持ちで思い出しました。

 

 

 予科練平和記念館では、若鷲の歌のワンフレーズが書かれた

古関裕而さんの色紙を展示しています。

 また、“エール”で予科練を紹介する際に使われていた映像も

館内の展示室でご覧いただくことができますよ。

古関裕而さんの色紙と若鷲の歌のレコードです。

展示室1「入隊」で展示しています。

 

 

予科練平和記念館がある阿見町は、実は古関裕而さんとつながりが深いのです。

町内には小中学校が全部で10校ありますが、町立阿見第二小学校と、町立朝日中学校の

校歌は、古関裕而さんの作曲なんです。

 

朝日中学校は1980(昭和55)年に新設されましたが、初代の校長先生は

なんと!元予科練生です。

1943(昭和18)年5月に乙種第20期予科練習生として土浦海軍航空隊に

入隊した仲川武男さん。初代の朝日中学校校長先生としての体験を次のようにお話ししてくださっています。

 

 

 ・・・初代の校長でしょう。校歌はなし、校訓はなし何もないでしょう。それで困った。

まず校歌、校訓を作らなきゃならない。そこで白羽の矢を立てたのが、予科練の「若鷲の歌」を

作ってくださった古関裕而先生。あの先生は私が昭和18年に予科練に入隊し

基礎訓練中に東京からおいでになり作曲を披ろうしてくれた方です。

 そういう恩恵があったかそれが縁かなにか分かりませんが、ちょうど古関先生の弟さんが

阿見においでになってます。その弟さんも何かの拍子で知り合いになったから援助してもらい、

古関先生に作曲してもらいました。作詞は「高校三年生」の丘灯至夫先生。

 ・・・二回くらいかな古関先生の家までお邪魔して、いろいろとお話ししてお願いしてきました。

(『続・阿見と予科練』より抜粋)

 

 

古関裕而さんが土浦海軍航空隊にいらした時、仲川さんも予科練生として同じ場所にいらっしゃり、

後年ご自身が校長先生になられた時に、また古関裕而さんとつながって、

たくさんの生徒さんたちが歌う校歌が誕生していたんですね。

 

実は、当館で展示している古関裕而さんの色紙は、この仲川武男さんが寄贈してくださったものです。

不思議なご縁がつながっているなぁと感じます。

 

 

古関裕而さん、丘灯至夫さんは生まれ故郷の福島県に記念館があります。

こちらもよろしければチェックしてみてくださいね。

ご来館の際には、開館状況やコロナウイルス対策の状況などをホームページやお電話でご確認いただけると確実です。

 

古関裕而記念館

https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/

 

丘灯至夫記念館

https://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/13/toshio-oka.html

 

 

 

 

 

 

弱虫ペダルスタンプラリーやってます

9月 29th, 2020

みなさんこんにちは。学芸員Yです。

日増しに秋の気配が深まってきていますね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

あの・・・予科練平和記念館には、多分ですが、本当に時間を食べる何かがいるかもしれません。

日々コロナ対策に振り回されてしまい、こんなにブログに時間を割けないとは・・・。 

前回の更新から1か月以上経ってしまいました・・・。

いや、自分の怠慢なのだと思いますが、それにしても、と言う感じです。

しかし今年もあと3か月。気合を入れなおしてアップしていきたいと思います。

 

 

さて、予科練平和記念館では、11月30日(月)まで

「弱虫ペダルデジタルスタンプラリー ウォーク&ライド」に参加しています。

 

「弱虫ペダル」は、現在「少年チャンピオン」で連載されている人気少年漫画で、

アニメ化もされています。

コミックスはなんと68巻まで出ているそうです!

今年の夏には、アイドルグループKing&Princeの永瀬廉君主演で実写映画化された

今とても勢いのある作品なんです。

 

 

このデジタルスタンプラリーは、茨城県南15か所に配置された

弱虫ペダルのキャラクターのポスターについているQRコードをスマホで読み込むと

スタンプをゲットできるというもので、

スタンプをためるとオリジナルクリアファイルなどがもらえます!

 

お隣の土浦市にあるJR常磐線土浦駅には、主人公小野田坂道君のポスターと、

主要キャラの等身大パネルやフォトスポットもありますよ。

 

詳しくはコチラ↓

https://arweb.jp/playatre/

 

 

そして、当館に来てくれたのは「青八木 一(あおやぎ はじめ)」君です!

青八木くんのQRコード付きポスターは、予科練平和記念館の外にある

正面入り口付近の掲示場と、館内ラウンジの掲示板の2か所に設置しています。

外にある掲示板は、予科練平和記念館が閉館している時でも撮影OKです!

館内ラウンジの掲示板は、どなたでも自由に出入りできるフリースペースにございますので、

もしよろしければこちらもご覧になってください。

館内にいる青八木君のほうが、ポスターのサイズが大きいですよ!

 

↑館の外正面入り口付近の掲示版

 

館の入口を入って突き当りを右に曲がっていただくと、

大きい青八木君がいます。

 

 

また、予科練平和記念館は広域レンタサイクルの貸出ステーションにもなっています。

WEBからご予約いただき、予科練平和記念館で自転車を借りて、

霞ヶ浦や筑波山を見ながら気軽にサイクル旅が楽しめます!

ご利用のお客様を見ていると、思ったより遠くへ行ってしまった、という方や

すてきに日焼けして帰ってこられる方など、みなさん楽しそうです。

マスクを外して、深呼吸しながら全力で自転車を漕いだら、きっと気持ちがいいですね!

貸出できる自転車は、ロードバイクやクロスバイクのほか、お子様用や二人乗り用など

用途に合わせてご用意があります

もしよろしければ、この秋のアクティビティ候補に加えてみてくださいね。

 

詳しくはこちら↓

https://www.ringringroad.com/rentalcycle/

 

 

今週木曜日、10月1日は中秋の名月です。

いろいろと先行きが見通せず、ともすれば気持ちが落ち込んでしまいがちなニュースが

日々目に飛び込んでくるこの頃。

この日の月がとっても美しくて、みんなが月を見上げてちょっとほっとして、

少し気持ちが軽くなる日であったらいいなぁと思っています。

みなさんの日々が、少しでも心安く穏やかでありますように。

すてきな名月をおむかえくださいね。

 

 

 

博物館実習中です

8月 28th, 2020

みなさんこんにちは。

学芸員Yです。

毎日暑い中にも秋の気配を感じるころとなりましたね。

いかがお過ごしでしょうか。

朝晩の風の涼しさ。日暮れとともに聞こえてくる虫の声。

日没も早くなってきました。

2020年の夏も過ぎようとしていますね。

 

前回のブログ更新が7月。

まめに更新したいと思いつつも、日々コロナ対策と問い合わせ対応に追われてしまっていました。

時間が驚くほど速く過ぎるので、予科練平和記念館のどこかに時空のゆがみが

あるんじゃないか、と検温用のサーマルカメラで探してしまいそうになります。

たまる一方の仕事と問い合わせ対応のための資料が机の両端に積み重なり、

新たな地層が出現中。

コロナ…どこでも大変ですよね…。

みなさん本当に本当にお疲れ様です。

 

さて、今週火曜日から博物館実習が始まりました。

博物館実習は、学芸員資格取得のために実際の博物館で実習を行うものです。

今年は2名の大学生が実習に来てくれています。

先日は当館の歴史調査委員大橋さんによる講義に続き、元予科練生のお話を聞きました。

 

 

大橋さんは、歴史を伝えるということ、その中で学芸員が果たす役割について

お話をしてくださいました。

また、元予科練生の戸張さんは、予科練とはどのようなところだったのかを

ご自身の体験も交えて伝えてくださいました。

 

 

実際に体験された方のお話は、どんな解説文よりも説得力がありますね。

戦争の歴史を伝える博物館、資料館は、今後どのように語り部事業を行っていくか

悩みどころです。

戸張さんには、ご無理のない範囲でこれからも多くの方に体験を伝えていただけたら

ありがたく思います。

まさに予科練平和記念館の宝物です。

 

 

博物館実習3日目の昨日は、資料のクリーニングとデータ入力を行いました。

クリーニングするのは、阿見村と合併する前の旧朝日村役場の行政文書です。

昭和初期に作成された文書の一部を予科練平和記念館で保管しているのですが、

時間がなくてなかなか細かくクリーニングしてあげることができずにおりました。

こうして学生さんが来てくださるととても助かります。

 

一枚一枚刷毛をかけてほこりを落とし、傷み具合をチェックしていきます。

慎重に慎重に進めてくださっています。

 

 

 

紙がもろくなっているので最初は触れるのに緊張しますが、

クリーニングの数をこなしていくと、どこに気を付けて

どのように扱えばよいかの感覚がだんだんと身についてきます。

 

文書のクリーニング作業は非常に地味で時間もかかるものです。

でも、この手間こそが未来へ資料を伝えていく基礎になります。

 

博物館での展示等で一般の方の目に触れる資料は氷山の一角です。

見えないところにも様々な資料が眠っていて、そうしたすべてをできる限り未来へつなげていくのが

学芸員の大切な業務になってきます。

 

 

クリーニングと同時に、資料の写真データに資料番号を入力する作業も行います。

 

 

 

こちらも手間のかかる作業なのですが、手際よく進めていただいてとても助かりました。

 

 

本日は展示の監視や窓口業務を体験中。

大きな博物館であれば、こうした業務は専任の職員を配置するのですが、

私どもは小さな館なので、学芸員も館のすべての業務にかかわります。

内側の仕事とはまた違った角度から、展示やお客様の導線なども考えることができるのではと

思っております。

 

 

実習最終日の今週土曜日には、ご本人たちがこのブログと館の公式Facebook、Twitterに

登場します。

もしよろしければ、こちらもご覧いただけましたら幸いです。

 

 

まだまだ暑い日が続いています。

水分、塩分、睡眠、栄養をしっかり摂って、みなさんどうぞお元気でお過ごしください。

 

 

戦後75周年記念展示開催中です

7月 21st, 2020

みなさんこんにちは。

学芸員Yです。

記録的な大雨となり、各地で大きな災害が起きましたね。

ニュースで被災地の様子が映るたびに、自然の強さの前に圧倒されます。

被害にあわれた方はどれほど怖くて、どれほど悔しくて、どれほど無念だったか。

察するに余りあります。

心よりお見舞い申し上げます。

 

 

先日、公益財団法人海原会の専務理事長さんとお話をする機会がありました。

毎年、予科練戦没者慰霊祭を5月下旬に行っていらっしゃるのですが、

今年はコロナウイルスの関係で例年通りの開催は見送り、関係者のみで執り行ったとのことでした。

お写真を拝見しましたが、予科練戦没者の慰霊に真摯に向き合う姿が感じ取れて、

亡くなられた予科練の皆さんも喜んでいらっしゃるのではないかなと思いました。

 

 

また、このような話もしてくださいました。

毎年慰霊祭に出席されている元予科練生の弟さんから、コロナウイルスに関して

国から支給された特別定額給付金10万円を海原会をはじめ各慰霊団体等へ全額寄付する、という

お申し出をいただいたそうです。

 

“特別の被害を受けているわけでない自分が受け取るものではないので、

予科練戦没者の慰霊のために使ってほしい。“

 

この方のお兄さんは1930(昭和10)年に予科練に入隊、

1938(昭和18)年に24歳の若さで大空に散っていかれました。

当時まだ10歳だったこの方に、詳しいことは知らされなかったのかもしれません。

月日が経ち、偶然書店で見かけた本の中にお兄さんの名前を見つけたことがきっかけとなって

本格的にお兄さんの人生と向き合われたようです。

 

お兄さんのご遺品の中には、小さな女の子を抱いたお兄さんの写真と、同じ女の子を抱いた

女性の写真がありました。

諸々の事情で入籍が叶わなかったお兄さんとその女性。

写真は、真珠湾攻撃後の休暇後にたった一度だけ撮られた親子写真でした。

 

女性は再婚し、時間が経つにつれ徐々に縁遠くなってしまいました。

思い立って尋ねあてた時には、女性も、その娘さんも彼岸へ旅立たれた後だったそうです。

 

二人を探す過程で得た写真や遺品をお兄さんのお墓におさめ、

72年ぶりに3人が一緒になったとのことでした。

 

事実は小説よりも奇なりと申しますが、このようなこともあるのだなぁとしみじみ思った

エピソードでした。

給付金の生かし方もすてきだなと思いますし、何よりも、そういうお気持ちを寄せていただくことが

予科練戦没者の慰霊にご尽力なさっておられる海原会さんの力強い後押しになるのではないかなと思いました。

以前のように、一般の方も参加できて、参加者全員で予科練戦没者をしのぶことができる素晴らしい慰霊祭が

早く復活できますように、願ってやみません。

 

 

 

 

さて、予科練平和記念館では、館内20世紀ホールにて「戦後75年交流企画

7つのテーマで知るシベリア抑留 平和祈念展示資料館所蔵資料展」を開催中です。

新宿にある総務省委託平和祈念展示資料館が所蔵している資料を、予科練生の

制服の7つのボタンにちなんで7つのテーマで展示しています。

 

シベリア抑留者とは、戦争が終結したにも関わらず、シベリアを

はじめとする旧ソ連やモンゴルの極寒の地に抑留され、乏しい食事と

劣悪な生活環境の中、過酷な強制労働に従事させられた約57万5千人の方々です。

そのうち、約5万5千人が栄養失調や伝染病などで命を落としました。(チラシより)

 

極寒の地の厳しさ、人間として扱われない不条理さ、その中でも希望を失わずに

故郷へ帰ろうとする人たちの強さが、展示された資料から伝わってきます。

 

 

 

 

現在はコロナウイルスの関係もあり、なかなか以前のように都内まで

気軽にでかけるという感じでもなくなってきていますので、

茨城にいながらシベリア抑留の実物資料が見られるのも、貴重な機会かなと思います。

平和祈念展示資料館の担当の方々が一生懸命作ってくださった展示です。

お近くにお越しの際には、ぜひご覧ください。

 

※予科練平和記念館の入館チケットでご覧いただけます。

 

 

Twitterはじめました

6月 24th, 2020

みなさんこんにちは!

学芸員Yです。

急に暑かったりじめじめしたり・・・体調を崩しやすい日が続いていますが、お変わりありませんでしょうか。
人間には少し憂鬱な季節でも植物にとっては気持ちのいい時期のようで、

記念館の周りの木々の緑がいきいきのびのび、ますます濃くなってきました。
小雨が降る日などはさらに緑が鮮やかになり、館内から見ているととても癒されます。

 

 

 

昨日は沖縄慰霊の日でしたね。

日中、品の良い小柄な年配のご婦人が記念館にお見えになりました。

帰り際にぽつりと「戦後の生まれの私にとっても、胸にくる内容でした」とおっしゃり、

小さく頭をさげてお帰りになられました。

戦時の記憶を伝えていくということがどういうことなのか、

75年という年月がどのようなものなのか、考えさせてくださったお客様でした。

 

今年は戦後75年という節目の年ということもあり、

マスコミの方からのお問い合わせを結構いただいています。

記念館自体の取材ではなくて、元予科練生を紹介してほしい、といった内容が多いです。

ご紹介できる方が、私が以前記念館に勤務していた7年前よりも、がくっと減ってしまっていることに

改めてさみしさを感じています。

 

さて、予科練平和記念館は今月9日(火)に再開することができました。

新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため、館内では各展示室に定員を設けたり、

ソーシャルディスタンスの確保をお願いしたりしておりますが、

お客様がこころよくご協力くださり、大変ありがたく思っております。

 

お客様のご協力が得られていることと、今は1年の中でもお客様が少ない時期だということもあり、

新型コロナウイルス対策がなんとか取れている状況ですが、

これから団体でいらしてくださるお客様が増える時期ですので、

どのようにしたら安全を確保できるのか、模索を続けています。

 

その一環として、ご来館くださるお客様にマスクの着用をお願いすることが決まりました。

暑い時期にマスクをお願いするのも心苦しいところですが、ご協力いただけましたら幸いです。

 

また、館内の人数によっては入場制限をさせていただく場合がありますので、

状況を早く細かくお伝えできるよう、Twitterをはじめました。

基本的には開館中の情報をお伝えする予定ですが、

せっかくのTwitterなので、たまに館の様々な情報をはさんでいこうかなと思っております。

 

予科練平和記念館公式ツイッターはこちら

↓↓↓

https://twitter.com/yokarenpmm

 

 

また、Facebookのページは以前からありましたが、不具合が生じたため

新しいアカウントで再始動いたしました。

 

予科練平和記念館公式Facebookはこちら

↓↓↓

https://www.facebook.com/people/%E4%BA%88%E7%A7%91%E7%B7%B4%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8/100052365353925

 

もしお暇なときがありましたら、ご覧いただければ幸いです。

 

このブログを更新しているときに、とても嬉しいことがありました。

以前一緒に予科練平和記念館で働いてくださった仲間が来てくれたのです。

7年ぶりの再会でしたが全くお変わりなく、当時の話もできてとても心和むひと時でした。

現在は民生委員をやっていらっしゃるそうで、その関係で海軍の資料を託されたとのことで、

記念館に寄贈してくださいました。

こうしてつながりがまた一つ再生されたのが本当にうれしくて、元気がでました。

ちょうど今日はOさんと一緒に働いてくださっていたTさんも勤務されていたので、

プチ同窓会のようで楽しかったです。

 

Oさん、来てくださってありがとうございました!

これからもどうぞよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

予科練平和記念館のブログを再開します

6月 10th, 2020

みなさんこんにちは。

本日から予科練平和記念館のブログを担当します学芸員Yです。

このブログでは、みなさんに予科練平和記念館をもっと身近に感じていただけるよう、

館の日々の業務や資料のあれこれ、スタッフや売店商品の紹介などの情報を発信していきたいと思います。

みなさんと予科練平和記念館をゆる~くつないでいければと思いますので、

のんびりお付き合いいただけましたら幸いです。

 

予科練平和記念館は新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館しておりましたが、

6月9日(火)より再オープンいたしました。

職員はマスク着用(窓口では手袋もつけています)、毎朝の検温、館内の消毒作業、

案内の中止等の対策をとっております。

 

窓口の様子です。

 

ご来館のお客様につきましても、アルコールでの手指消毒、連絡先の記入、入場制限、

ソーシャルディスタンスの確保、滞在時間の制限等のご協力をお願いしております。

また、展示は通常通りご覧いただけますが、触ったり読んだりすることができる資料は撤去しております。

本当は全部お見せしたい・・・!予科練についてもっと知ってほしい・・・!という思いはあるのですが、

そのせいでお客様を危険にさらすわけにもいきません。苦渋の決断です。

ご来館くださるすべての皆様にとって安心安全な環境となりますよう、ご来館の折には

ご協力いただけましたら幸いです。

 

さて、予科練平和記念館ブログの“中の人”私Yですが、4月1日から再び予科練平和記念館で勤務することに

なりました。

予科練平和記念館の開館時には主に展示制作と資料整理・保存全般を担当していましたが、

その後町のほかの部署へ異動となり、この度、7年経ってまた古巣へ戻ってまいりました。

予科練の代名詞7つボタンにも通じる他部署で過ごした年月で、得たものもたくさんあります。

その経験を、記念館でも生かしていけたらと思っております。

 

開館時にもブログを担当しておりましたので、もしかしたら「学芸員W」をご存じの方が

いらっしゃるかもしれません。

今回のブログより「学芸員Y」として活動してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

本日は6月10日。75年前の今日、アメリカ軍の戦略爆撃機B-29の大編隊が阿見町に飛来し、

土浦海軍航空隊(現在の陸上自衛隊武器学校)を目標として10トン爆弾による大規模な空襲を行いました。

すさまじい爆風と爆撃にさらされた土浦海軍航空隊は大きな被害を受け、

予科練生や周辺の住民を巻き込んで300名以上の死傷者が出ました。

体験された方のお話を伺うと、まさに阿鼻叫喚という状態であったろうと思われます。

 

館内の展示室6では、体験者の証言をもとにした空襲の映像を上映していますが、

爆撃のシーンでは大きな音と共に頭上から爆弾がランダムに落ちてくるので、

個人的にも実際に体験したら本当に怖いだろうな…と思います。

この空襲でお亡くなりになられた方には改めて哀悼の意を表しますとともに、

記念館ではこれからも阿見町の空襲を多くの方にお伝えしていきたいと思います。

 

 

 

この時期だけ、窓口に白いお花を飾ります。

 

 

今年は新年度からコロナウイルス対策のためにバタバタしており、気が付いたらあっという間に6月でした。

大変なこと、予期せぬできごと、心が痛くなる辛いできごとなど、毎日生きているとどうしても

何かしらはでてきますし、人間は物事を悲観的にとらえやすい性質があるので、

(『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』 ハンス・ロスリンク著

日経BP社 2019 思い込みや古い知識が現状認識をゆがめてしまうことがよくわかります。

オバマ前大統領やビル・ゲイツおすすめもうなずける一冊。読みやすくて目からうろこが落ちまくること

うけあいです!)

ともすれば世界が悪い方向へ向かっているように感じてしまいがちですが、

物事は多面体でどこに光を当てるかによって見える事象が違ってくるので、

誰に何を言われようと、なるべくすてきなところに光を当てていくぞ!と思う今日この頃です。

 

これからもこうしたブログを不定期ですがアップしていきたいと思います。

長文最後までお読みいただきありがとうございました。

気温や湿気が高い日が続いています。

皆様と、コロナウイルスや熱中症が無縁でありますように。

ご自分優先で、どうぞご自愛くださいませ。