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フロアガイド

フロアマップ

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1.入隊 2.訓練 3.心情 4.飛翔 5.交流 6.窮迫 7.特攻 ニュートラルゾーン1 情報ラウンジ

展示構成

『予科練』の代名詞とされ、『若鷲の歌』にも歌われた『七つボタン』を展開の素材とし、七つのテーマを持った部屋で空間を構成しています。

また、『予科練』にスポットを当て、当時を生きた町の人々がどのような生活や時代を体験したかを基本に、予科練とはどのような制度なのか、成り立ちから大空への憧れを胸に予科練生となった少年たちが どのような訓練や教育を受け、日々の生活を送っていたかを紹介する展示となっています。


各コーナーの紹介

エントランスゾーン/プロローグ

 「土浦海軍航空隊」は、阿見町の霞ヶ浦湖畔にある陸上自衛隊武器学校一帯にあり、予科練教育の中心地として多くの練習生たちが訓練した場所です。その敷地に隣接する予科練平和記念館では、予科練の少年たちの歴史を後世に伝え、今と未来を考えていきます。
 記念館の外観は幾何学的なシルバーの市松模様ですが、予科練習生たちがあこがれた空を映して刻々と表情をかえていきます。館内は予科練の代名詞となった制服の「七つボタン」にちなみ、「入隊」から「特攻」にいたる7つのテーマ展示室でストーリーが展開されます。
 桜並木のアプローチを抜けると、記念館入り口のガラスを通して大きな写真が目に入ります。昭和を代表する写真家、土門拳が土浦海軍航空隊で撮影した予科練習生たちの写真です。これと重なるようにして、ガラス面には、予科練の草創期から終戦まで彼らを見守り続けた教官のことばが刻まれています。その左側には、土浦海軍航空隊のレリーフ。昭和初期、阿見の地にいた彼らの物語は、もうここから始まっています。

エントランスゾーン/プロローグ

 

ロビー1

 入り口を入ると、天井の高いエントランスホールの右側に受付があります。ホール左側の壁では、江戸時代から海軍の町になるまでの阿見の姿を写真で紹介しています。写真を見ながらそのまま右へ進むと、常設展示室1~4共通の入り口スペース、ロビー1があります。
 昭和5(1930)年に横須賀ではじまった予科練教育が、時代とともにどのように変化していったかを紹介しており、周囲には前述の写真家、土門拳が予科練習生たちを写した写真が大きく引き伸ばされ、青空を切り取った窓とともに配された印象的な空間です。

20世紀ホール

 

入隊

1.入隊~憧れと不安の交錯~

予科練習生を模したガラスケースが立ち並ぶ展示室1「入隊」では、少年たちがどのようにして予科練習生となっていったのか、その状況や入隊までの様子を、映像を交えて展示しています。そして、これまであまり知られることのなかった台湾・朝鮮半島出身の練習生たちについても、貴重な写真や資料とともに紹介しています。

 

訓練

2.訓練~猛訓練と心身の成長~

 試験を突破して晴れて航空隊の門をくぐった少年たちには、朝早くから夜寝るまで、分刻みの訓練が待っていました。普通の少年から軍人へ。彼らがどのような生活を送っていたのか、寝起きした兵舎と勉強した教室を部分的に再現した展示室でその実情にせまります。

 

心情

3.心情~少年たちの心の葛藤~

 予科練生が、どのような気持で日々を過ごしていたのかを、残された手紙などから探っていきます。 隊内でこまごました私物を入れた「手箱」とよばれる木製の箱を模した展示ケースのなかには、練習生たちが家族や友人に宛てて書いた手紙の実物が展示されます。また、同じく手箱をモチーフにした箱の中には、手紙を書き起こして本にしたものが入っており、自由に手にとってご覧いただけるようになっています。白を基調とした展示室内は、練習生たちが残した手紙の言葉ひとつひとつが、静かに語りかけてくるような空間です。

 

飛翔

4.飛翔~予科練から大空へ~

 搭乗員にあこがれて入隊した予科練習生たちですが、彼らが予科練時代に飛行機に乗れるのはたった一度、飛行機の操縦員か、通信や航法などをおこなう偵察員かに進路をわける試験のときだけでした。進路別にそれぞれの課程を終えて予科練を卒業すると、どちらも「予科」がとれて「飛行練習生」となります。ここからが本格的な飛行訓練のはじまりです。この飛行練習生課程(飛練)では、予科練以上に厳しい訓練が彼らを待っていました。猛訓練の日々を経てすべての課程を終えると、練習生たちは一人前の搭乗員として第一線へ飛び立っていきます。展示室4「飛翔」では、予科練卒業後の練習生たちの姿を追います。

 

交流

5.交流~予科練と阿見~

 緊張が続く日々を送る予科練習生にも、思い出に残る楽しいひとときがありました。それは、日ごろの訓練から開放されて、隊の外で羽を伸ばすことができるたまの日曜日であったり、離れて暮らす家族との面会であったり、隊内での映画会など、娯楽の時間でした。また訓練の厳しさをよく知る阿見や土浦の人たちは、予科練習生をあたたかく見守っていました。そうしたさまざまな人たちとの交流や、練習生の思い出の場所などを、展示室5「交流」でご紹介します。また、この中には戦時下の暮らしを解説するコーナーもあり、当時の様子を写真などで紹介するほか、実際に使われていたものも展示する予定です。

 

窮迫

6.窮迫~戦局の変化~

 昭和20(1945)年に入り、空襲がますます激しくなるなか、予科練教育を行なっていた土浦海軍航空隊も攻撃目標となります。予科練習生だけではなく、付近の住民も巻き込んで大勢の人が亡くなった阿見の空襲。それは昭和20年6月10日、日曜日の朝のできごとでした。展示室6「窮迫」では、展示室の天井と壁面に映し出される映像によって、当時の状況や空襲の恐ろしさを擬似的に体感することができます。また、実際の空襲を体験した人たちが、その様子を映像のなかから語りかけます。展示室6を抜けると、白い壁と外が見える四角い窓、そして言葉が記されただけのスペースになっています。窓に切り取られた空は、空襲があったあの日と同じかもしれない。そんなことを考えさせてくれる静かな空間です。

 

特攻

7.特攻~戦時下の悲劇~

~エピローグ

 平和な現在とは違い、当時の日本では、非情な作戦が決行されようとしていました。少ない兵力で確実に戦果を上げるため、爆弾を抱えて体当たり攻撃をする特別攻撃、通称「特攻」です。最初の特別攻撃は海軍によって行なわれ、土浦海軍航空隊で予科練時代を過ごした甲種第10期生を中心として隊が編成されたことは、あまり知られていないかもしれません。予科練出身者は海軍の航空機による特別攻撃戦死者の7割にあたります。
 展示室7「特攻」では、予科練と「特攻」作戦のかかわりを、練習生の全戦死者約18,000人と同じ数の光が浮かび上がる展示室のなかで紹介していきます。
 多くの犠牲を払い、今なお続く傷を残して終った戦争。復員した予科練習生たちはそれぞれの生活へと戻り、戦後の混乱期から高度経済成長を経て激動の昭和を駆け抜けました。年号は平成にかわり、21世紀をむかえましたが、世界中が平和であるとはまだ言えません。これから先の未来をどうするかは、今を生きる私たちにかかっています。過去を知り、未来を見つめる。予科練平和記念館のメッセージであり、エピローグです。