ハチドリのひとしずく

3月 24th, 2011

3月11日(金)に発生した東日本大地震で被災された方々に

心よりお見舞い申し上げます。

また亡くなられた多くの方々やご家族の皆様には、心よりお悔やみ申し上げます。


今このときも、不安を抱えながら1分1分を一生懸命生きている方が

どれだけいらっしゃることでしょうか。

あまりに大きな被害、そして失ったものの大きさを思い、

日々飛び込んでくるニュースに、茫然自失となることもしばしばです。


予科練平和記念館がある茨城県も、各地で大きな被害を受けました。

地震や津波による直接的な影響だけではなく、放射性物質により

生産者の方たちにも大きな影響が出ています。

県内の文化財も多数被害が報告され、中でも福島県との県境に位置する北茨城市にあった

日本画家岡倉天心ゆかりの六角堂(国の登録有形文化財)は

丸ごと津波にさらわれてしまいました。

あの美しい風景が今なくなっていることが、にわかには信じられません。

六角堂は海に向ってせり出した高い岸壁の上に立てられているので、

そこまで津波がきたのかと思うと、改めてその力の大きさと激しさを感じます。


地震があったとき、予科練平和記念館にいらっしゃったお客様は全員ご無事でした。

館の職員にもさいわいけがはありませんでした。

館内ロビーの壁面にひびがはいったり、照明がぶら下がってしまったりしましたが

館自体には大きな被害はありませんでした。

資料にも大きな損傷はなく、ほっとしておりますが、被災地の文化財は

大丈夫だったろうかと心配もしております。


予科練平和記念館は今月末まで臨時休館とさせていただいております。

今後の開館スケジュールにつきましては未定ですが、

決まり次第館のHPなどでお知らせいたしますので、どうぞご覧ください。



3月11日を境に、多くの方の生活が一変してしまいました。

この度のことで、あたりまえに続いていくと思っていた日常は、思いもよらない時に予告もなく

大きく変わってしまうのだ、ということをまざまざと思い知らされたように思います。

津波などで大きな被害を受けた地域の方々や、そのご家族縁者の方々の

辛さや苦しさには及びもつきませんが、私も被災した一人として、

このことは一生忘れないと思います。


地震のあと、停電で真っ暗で寒い中、すぐに逃げられるよう服を着たまま

余震におびえながらラジオを聞いて、どれだけ眠れずに過したでしょうか。

「壊滅的被害」という言葉がラジオから繰り返し聞こえてくる中、

さえぎる光のなくなった空にはたくさんの星がまたたいていました。


割れた道路、くずれた屋根瓦や塀。

めちゃくちゃにものが散乱した家の中。

信号がついていない道路の恐さ。

生活必需品が手に入らない大変さ。

電話がつながらない不安。

電気や水のありがたさ。


地震が起きてからただ今までのいろいろなことが、どこか体の奥深くに

刻まれ続けているような気がしています。

今この時も、この先がどうなるのか誰にも分からない状況にありますが、

東京電力福島原子力発電所で作業されているたくさんの方々、

自衛隊、消防、警察、レスキュー、自治体職員、医者、看護士、企業、ボランティア、NPO

海外からの方々、その他たくさんの皆さんが

昼夜をわかたず現地で頑張っていることだけは確かです。

どうかご無事でと、祈らずにはおれません。


震災以来、自分の生活のほどんどが、誰かのおかげで成り立っていたことが

よくわかりました。

こうしてブログを書くことができるのも、「おかげさま」なのだと思います。



数年前、「ハチドリのひとしずく」という絵本が話題になりました。

南アンデス地方に伝わる話を、明治学院大学の辻 信一先生が訳したものです。

それは、こんなお話です。



森が燃えていました

森のいきものたちは、われ先にと逃げていきました

でも、クリキンディという名のハチドリだけは、いったりきたり

口ばしで水のしずくをいってきずつ運んでは

火の上に落としていきます


動物たちがそれを見て

「そんなことして いったい何になるんだ」

といって笑います


クリキンディは こう答えました

「わたしは わたしにできることを しているだけ」


(「ハチドリのひとしずく  -いま、私にできること」 辻信一(監修) 光文社 2005)



ハチドリは、体長10センチほどしかない小さな小さな鳥です。

今改めて、このお話を思い出している方も多いと思います。

クリキンディのように飛び回っている方もたくさんいらっしゃることでしょう。


私も、私にできることを精一杯しようと思います。