霞ヶ浦神社と土浦航空隊神社

2月 1st, 2019

寒い日が続きましたが来週は立春になります。梅の開花の便りが間もなく届きます。

2月2日は当館の開館記念日です。入館は無料となりですので、皆様のご来館をお待ちしております。

当館は平成22年2月2日に開館し10年目となりました。今年は10周年記念事業を計画しています。日程など詳細が決まりましたら、お知らせいたします。

今月29日から収蔵資料展「絵葉書と日記-日々を綴れば-」を開催しています。寄贈いただいた資料の中から、昭和20年以前に発行された絵葉書75点と、阿見町出身の予科練生だった木村孝正さんが昭和17年に書いた日記の中から3月分を展示しています。(4月分を後期に展示します)ぜひご覧ください。

霞ヶ浦神社と土浦航空隊神社の話です。大正11年に阿見町で開隊した霞ヶ浦海軍航空隊は戦闘機の飛行訓練を行っていましたが、訓練中の事故が多く亡くなる隊員も大勢いました。当時戦死者は靖国神社に祀られましたが、訓練中の事故で亡くなった隊員は祀られませんでした。山本五十六元帥が海軍大佐だった40才の時に霞ヶ浦海軍航空隊に副長兼教頭として赴任しましたが、殉職者の慰霊のため、山本副長兼教頭が委員長になり霞ヶ浦神社建設調査委員会が作られ、霞ヶ浦神社が隊内に建立されました。終戦になると進駐軍の指示で霞ヶ浦神社は撤去されましたが、社殿が阿彌神社に移設されて現在も保存されています。また、茨城大学農学部内に社殿を固定したコンクリートの基礎が残されています。

土浦航空隊神社は予科練生の訓練を行っていた土浦海軍航空隊内に建立されていました。この神社は終戦になって奉焼されたと思われていましたが、予科練歴史調査委員の皆さんの調査により、社殿が土浦市の民家で守られていました。さらに鳥居が、つくば市の鹿島神社に移設されていたことも判明しました。