特別展「回天」へのいざない⑥

9月 14th, 2012

 回天の訓練は国内の4基地で行われました。

◇大津島基地(山口県周南市)

 1944(昭和19)年9月開隊・訓練開始。

◇光基地(山口県光市)

 1944(昭和19)年11月開隊・12月訓練開始。

◇平生基地(山口県熊毛郡平生町)

 1945(昭和20)年3月開隊・4月訓練開始。

◇大神基地(大分県速見郡日出町)

 1945(昭和20)年4月開隊・5月訓練開始。

 回天はこれらの基地から、イ号潜水艦という全長100メートルを超える大型潜水艦(日本の潜水艦は大きさ順にイ、ロ、ハと区別される)などの甲板に2的から6的(回天は○隻ではなく、的〈てき〉と数えた)搭載され外洋に出撃する場合が1つありました。

 また1つは、日本国内の太平洋沿岸に本土防衛のための基地回天隊が設置され、それらの基地から直接出撃する場合がありました。

 今回は、元搭乗員の手記をご紹介し、訓練の様子を知っていただきたいと思います。

小林秀雄氏(故人。大正10〈1921〉年生。大津島、光、平生基地を歴任後、第23突撃隊浦戸基地〈高知県〉にて終戦を迎える)

■訓練はどんなものだったのでしょうか。

 まず、座学による訓練があります。座ってテーブルで指導官の話を聞くわけですね。機械の構造がこうなっている、とか。しかし実際には乗らなきゃ分かりませんから、その兵器の置いてある調整場というんですが、そこへ行って自分なりに勉強するわけです。

 それから観測訓練です。特眼鏡(潜望鏡)で見る訓練、船の形を見て、戦艦だとか巡洋艦だとかを覚えたり、それから船がどのくらいの速さでどっちを向いて走ってくるのか、方位角が何度だとか、そういう観測の訓練がありました。

 地上で実際の兵器を動かしての訓練は私たちの時はできませんでしたから、第1回の搭乗訓練の時は、のっけから自分で動かしました。

 実地の一番最初は航法ですね。ただ簡単なところを回って帰ってくる。次は狭水道通過法といって、非常に狭いところをどうやって通るかということ。それが次には目標艦に突撃する、ぶつかる訓練ということになります。そういうことを何回もやって積み上げていくわけですね。

 一般的にはこの訓練は黎明薄暮やります。朝早くか夕刻暗くなってからですね。従って搭乗員は朝早い人は3時半くらいから起きて準備をして出てゆきます。で、乗った人の研究会というのが夜ありますから、そこで経験者の話を聞くわけです。

■基地での生活を教えてください。

 一般的には朝6時に起きまして、体操をして食事をして、それから普通の課業が始まります。それでだいたい4時くらいまで、一定の課程があります。今日は航海についての話があるとか、水雷の発射について講話があるとかですね。で、4時ごろから課外の授業ということで、主に搭乗員を集めて運動をします。例えば、ラグビーをするとか、棒倒しをするとかですね。

 じゃあ5時以降、夜はどうかというと、自由のときは私は碁を相当やってました。ただ外出はできませんでした。そういう生活でしたね。

 

        (回天記念館図録より抜粋)

 去る8月26日に、やはり回天搭乗員であった塩月昭義様(元甲飛13期生・奈良空。光、大神基地を歴任後、第21突撃隊麦ケ浦基地〈愛媛県〉にて終戦を迎える)を講師にお迎えして講演会を開催しましたが、次回の9月30日には訓練内容の詳細について体験した方ならではのお話をうかがう予定です。

 ご関心のある方はどうぞご来場下さい。