女性たちは戦争をどうみたのか

7月 21st, 2012

みなさんこんにちは。

学芸員Wです。

急に暑くなったと思ったら、昨日今日と気温がぐっとさがりましたね。

こういうときは自律神経のバランスが崩れやすいのだそうです。

みなさんも週末ゆっくりなさって、心身のバランスを整えてくださいね。

 

さて、私事ですが、先週、今週と2週にわたって

学芸員を対象とした研修を受講してまいりました。

東京・上野にある「東京文化財研究所」で、資料の保存や博物館環境のあり方について、

さまざまな分野のトップで活躍していらっしゃる先生方の講義を

受けさせていただきました。

とてもわかりやすく、今すぐ自分の館で使える知識をたくさん

教えていただくことができて、本当に勉強になりました。

また、北海道から沖縄まで、全国から学芸員が集まりましたので、

ケンミン的な話を含め、資料の展示や保存に関するいろいろなお話を(苦労話も含めて)

うかがうことができました。

学芸員の仕事は、横のつながりがとても大事です。

何かあった時に相談できる仲間がたくさんいることはとても強みになります。

先生方も、現代の資料はとても難しいものが多いので、何かあったら

相談に乗ってくださるとのことで、本当にありがたく思いました。

 

講義してくださった先生方はじめ、お忙しい中受講生の面倒を

一手にひきうけてくださった研究所のYさんに、心より御礼申し上げます。

本当にお世話になりました。

ブログも読んでくださってありがとうございます!

 

東京文化財研究所は、日本の文化財を伝えるための

大切なお仕事をしているところです。

みなさんもぜひ、HPをご覧になってみてくださいね。

 

東京文化財研究所

http://www.tobunken.go.jp/index_j.html

 

 

さて、先週末の14(土)・15(日)に、「女性が語る戦争」と

題しまして、戦時を生きた女性のおはなし会を開催しました。

 

14日(土) 「昭和ガールズトーク」

 

 

お話ししてくださった熟田鶴江さんは、土浦海軍航空隊の近くで

おばさんが経営していた銭湯「亀の湯」に、こどもの頃から遊びにきていました。

そこには日曜日になると予科練生が遊びにきて、鶴江さんやお姉さんたちと

遊んでいたそうです。

 

鶴江さんの初恋は13才のとき。遊びにきていた予科練生でした。

ある日、おばさんが、予科練生のまあくんに、

“鶴江をお嫁にもらっておくれ”

と突然言ったそうです。

 

そうしたら、彼は、「飛行機乗りにはお嫁にゆくな 今日の花嫁明日の後家」というけれど、

それでもよければお嫁においでと、言ってくれたそうです。

 

実はこのお話、少し悲しい結末で終わります。

鶴江さんは自分の心に芽生えた気持ちに気付きますが、

まあ君は予科練を卒業して、さらに訓練を受け、戦地で亡くなってしまうのです。

遺品が送られてきたそうですが、鶴江さんの実家は東京大空襲で焼けてしまい、

まあ君のものも一緒に灰になってしまいました。

 

私は鶴江さんにお話をうかがうのが大好きです。

特にまあくんのことを教えてくださる鶴江さんは、まるで少女のようで、

人生の大先輩に適切かどうかわかりませんが、ほんとうにかわいらしいのです。

 

戦後67年経っても、初恋の人の思い出はきらきらとかがやいていて、

その光が鶴江さんの笑顔にやさしく反射しているような、そんな感じで、

なんとなくじんわりと涙が出てしまいます。

 

今回、そうしたお話をたくさんの方にもお聞きいただきたくて、

「昭和ガールズトーク」というタイトルで対談させていただきました。

戦争があった時代に生まれた恋のお話は、現代に生きる私たちの心にも

ぐっと届いてきます。

 ご参加のみなさんは、どのようにお感じになったでしょうか。

 

15(日)「土空看護婦が語る予科練と空襲」

 

 

最初お話してくださる方はお一人の予定でしたが、

当時の同僚の方二人がかけつけてくださって、急遽ご参加くださいました。

 

 

左から角田(かくた)しづ子さん、栗原志津子(しづこ)さん、森戸(もりと)すゑ(え)さんです。

 

昭和20(1945)年、戦局がいよいよきびしくなったころ、土浦海軍航空隊の

医務課で勤務するために赴任された方たちです。

当時10代後半から20代前半。

予科練の少年たちにとっては、おねえさんのような存在でした。

 

その頃、日本は本土空襲がはげしくなって、主要な都市のほとんどが空襲の

被害を受け、たくさんの人が亡くなりました。

土浦海軍航空隊も例外ではなく、彼女たちが赴任してそれほどたたないうちに、

B-29による大規模な空襲にみまわれ、一般人も巻き込んで

400名近い死傷者を出しています。

 

この空襲については映像や文字で知ることができますが、やはり体験なさった方から

うかがうと、お話のリアリティが圧倒的に違うような気がします。

ふだんお話をしているととてもチャーミングな彼女たちが語る恐ろしい空襲の様子には、

思わずぞっとしてしまい、改めてその恐ろしさを感じました。

 

会場のみなさんも、しん・・・としてお話に耳を傾けていらっしゃいました。

また、質問のコーナーでは、実は自分もこの空襲を体験したんだ、という

元予科練の方がお話ししてくださり、短いながらも貴重な経験談を

おうかがいすることができました。

 

最後は大きな拍手でつつまれた会場。

ご参加くださったみなさんに、激動の戦中戦後を看護に生きた女性たちの

強さと心が伝わったのではないかと感じました。

 

実は元看護婦の皆さんには、予科練平和記念館ができるときから

いろいろとお世話になっており、

ご寄贈いただいた資料は展示室5「交流」に展示させていただいております。

また、森戸すゑさんは、展示室6「窮迫」の空襲の映像にも出演してくださっています。

みなさんもご来館の折にはぜひご覧になってみてくださいね。

 

女性の目から見た戦争の姿。

男性の視点とはまた違った角度からその悲惨さを伝えてくれます。

今回は2日続けて貴重なお話をうかがうことができて、本当によかったと思います。

 

 

そして本日は、中学生の職場体験。

 

記念館がある阿見町のおとなり美浦村から、

自転車で40分かけてきてくれた中学2年生。鈴木君と吉田君。

今日は2日間体験のうちの初日と言うこともあり、とても緊張しているようでしたが、

緊張しながらもきちんとお仕事をしてくれました。

 

 

二人はハンドボール部で明日から大会があるそうです。

それが終わったらすぐにまた職場体験。

忙しいですが、大会頑張って、また笑顔で来てくれることを楽しみにしています。